蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

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寺務雑記

■2019年10月10日(木)

 当山の寺歴(ルーツ)の一端がわかりました

 この秋、薗部町の共同墓地(通称「水道山」近くの山麓)にお墓を持つ檀家さんから、お墓後方の土止め壁の補強工事についてご相談があり、現場の確認のためその共同墓地に行ってきました。
 この墓地は現在共同墓地になっていますが、もとをたどると当山発祥の地で、鎌倉時代の弘長2年、京都の醍醐寺(真言系修験の本山)にあった報恩院の院主憲深和尚の従弟子・朝海法印が、日光修験の根拠地としてこの場所に小堂を建て、「満福寺」(自分の修行の成と同時に人々の幸を祈る寺)と名づけ、山号を「薗部山」としたところです。

 そういう場所ですので住職としてはずっと気になっていましたが、これまで考証らしいことをしてきませんでした。ですので、この機会にと思い、墓地の上部に並び建つ僧侶のものと思われる墓石のなかで石に刻んだ文字がよくわかる一体(釈迦如来の彫刻像の墓石、その光背の部分に名前と死亡年月日が刻まれている)をちなみに調べてみましたところ、当山の過去帳に記載されている薗部村光照院の「宥慶法印」(江戸時代)の墓石であることが判明しました。
 そのことから、この墓地は江戸時代に「光照院」といわれていたお寺の跡で、おそらく明治初期の廃仏毀釈によって廃寺となり、建物も壊され僧侶もいられなくなって墓地になったものと推定されます。
 この「光照院」はもともと「満福寺」だったわけですが、「満福寺」は江戸時代より以前の天正年間、豊臣秀吉の治世の時代、今の市街地(旭町)に移転しており、天正年間以降江戸時代にはここが「光照院」と名称変更になっていたことが判明しました。

 この機会に、同じ薗部町の共同墓地で通称「六道」といわれる墓地に残る僧侶の墓石を調べてみましたところ、墓地中央のお堂の左側に建つ石像「如意輪観音」と、墓地の入口右側の路辺に建つ石像「青面金剛」に、「薗部山中興開山 松月柳風」「六辻寺中興 松月」と刻まれており、いずれも江戸時代中期のものでありました。
 早速「薗部山中興開山 松月柳風」「六辻寺中興 松月」を当山の過去帳で調べたところ記載がありませんでしたが、「中興開山」「中興」の称号を持つということはお寺を復興した住職であることが推察され、現在墓地の中央に建つお堂のほか住坊(僧侶の住む建物)などを再建した人ではないかと思われます。今回の調べでわかったのですが、当山の過去帳には「薗部村六道」「六道寮坊」といった記載があり、「法印」の称号を持つ僧侶が何人もそこで亡くなっていることもわかりました。「六道」は明らかに当「満福寺」の縁続きのお寺であり、江戸時代は「六辻寺」と言われていたようです。

 「六道」とは仏教で言う「地獄」「餓鬼」「畜生」「修羅」「人間」「天」のことだとばかり思っていましたが、六つの道が集る「辻」の意味だということが「六辻寺」の字刻でわかりました。たしかに今でも「六道」は、四方から6本の道が集まる辻にあります。
 この「六道」の共同墓地も、今回もともと「満福寺」だったものが明治期の廃仏毀釈で廃寺なったことがほぼ確定されました。天正年間に今の場所に移転する前、おそらくこの「六道」にあった寺が「満福寺」だったに相違ありません。おそらく、移転を命じた皆川城主皆川広照が着目するくらいの規模のお寺だったでしょう。その「満福寺」が今の場所に移ったあと「六辻寺」と名称変更され、「満福寺」の弟子や行者が住んでいたものと思われます。中興開山といわれる「松月柳風」「法印松月」は行者だったと思われます。

 今回の考証でほぼ明らかになりましたのは、以下の通りです。

  1. 通称「水道山」近くの共同墓地にあった当初の「満福寺」は、天正年間の以前に今の「六道」墓地の場所に移転。当初の「満福寺」は「光照院」となり、「六道」が「満福寺」となる。
  2. 「六道」の「満福寺」は、それなりの本堂ほかの建物をもつお寺になっていたので皆川広照の認めるところとなり、天正年間、栃木城の造営とともに行われた栃木町整備の一環で現在の場所に移転。
  3. 「満福寺」が現在の場所に移ったあと、「六道」の寺は「六辻寺」と称した。
  4. 「光照院」と「六辻寺」は共に、江戸時代まで「満福寺」に属する僧侶や行者が住んでいたが、明治初期の廃仏毀釈で廃寺となり共同墓地になった。
宥慶法印の墓石
宥慶法印の墓石
「光照院」廃寺跡の墓地に建つ当山ゆかりの僧侶の墓石
「光照院」廃寺跡の墓地に建つ当山ゆかりの僧侶の墓石
「六道」墓地の「如意輪観音」=薗部山中興開山松月柳風の墓石
「六道」墓地の「如意輪観音」=薗部山中興開山松月柳風の墓石
同じく墓地入口右の「青面金剛」=「六辻寺」中興 松月の墓石
同じく墓地入口右の「青面金剛」=「六辻寺」中興 松月の墓石