満福密寺(満福寺(通称))について
満福密寺(満福寺)は栃木県栃木市にある真言宗のお寺です。
真言宗(=密教)の故に密の字を入れて満福密寺と称します。
弘長2年の開創、750年の歴史を刻み、ご本尊は大日如来です。
清貧孤高の画家 田中一村や、明治期の自由民権家 杉浦吉副の墓所があります。
真言宗(=密教)の故に密の字を入れて満福密寺と称します。
弘長2年の開創、750年の歴史を刻み、ご本尊は大日如来です。
清貧孤高の画家 田中一村や、明治期の自由民権家 杉浦吉副の墓所があります。
当山の御朱印
見当ちがいの成人式
新年早々、全国各地で「成人式」「新成人を祝う会」が行われました。テレビ各社のニュースには、男も女も精一杯の晴れ着を着かざった新成人が映し出されていました。この晴れ着ファッションショーのような成人式、私にはまことに奇異に映ります。
理屈を言えば、先ずもって「成人」(令和四年から満十八才)、つまり「大人」になることの何を祝うのか、よくわかりません。成人の日はしばらく一月十五日(小正月)でしたが、これは昔元服の儀が小正月に行われていたのに擬したもの。この右寄りの復古主義は、後の立志式・建国記念日の制定にも通底しています。
私は(もう六十年以上前のことですが)自分の成長の自覚からして、成人の日に今日から大人になるなどといった大げさな虚構自覚もなく、普段私の成長に何のかかわりもない市が、なぜ私の「成人」を祝ってくれるのかもさっぱりわかりませんでした。以来、後期高齢になった今も成人式の意味がわからず、市の行政経費のムダ使いだとさえ考えています。
さらに、成人式という虚構にかこつけて、晴れ着レンタル業界と主催者の市町村担当がまるで癒着しているかのような、官民一体による大仕掛けのファッションイベントと化していること。まことに不可解です。何が問題か。あのレンタル晴れ着、大半が親の負担。呉服店やデパートでオーダーメイドしたとしたらかなり高額。これも親のヤセ我慢。これをムダ使いだと言うのは、私が偏屈な貧乏人なのでしょうか。普段は物価髙に悩みながら、息子・娘の晴れ着代は別会計なのか。それにしても、晴れ着のレンタル料を仮に二十万として、令和八年の新成人が約百万人、その半数がレンタルの晴れ着だとして、十億円からの親の負担、ヤセ我慢、ムダ使い。大学二年の年度末試験の真っ最中だった私は成人式どころではありませんでした。東京・神田神保町の本屋街で試験対策の参考書を買い漁っていました。薄給の大学教授だった父から地味なネクタイが下宿に届いたのを思い出します。
私が言いたいのは、「成人」つまり大人になるということは、個々人の人間的成長の自覚の問題、つまり社会参加や社会適応能力とか経済的自立の自覚の問題であって、政治行政の復古主義によって強制される祝いごとではないということ。まして、高価なレンタル晴れ着を着かざって、形骸化して退屈な式典は早々にして、中学の同窓会まがいのことをやって悦楽しているのは、まったくの見当ちがいだということです。
理屈を言えば、先ずもって「成人」(令和四年から満十八才)、つまり「大人」になることの何を祝うのか、よくわかりません。成人の日はしばらく一月十五日(小正月)でしたが、これは昔元服の儀が小正月に行われていたのに擬したもの。この右寄りの復古主義は、後の立志式・建国記念日の制定にも通底しています。
私は(もう六十年以上前のことですが)自分の成長の自覚からして、成人の日に今日から大人になるなどといった大げさな虚構自覚もなく、普段私の成長に何のかかわりもない市が、なぜ私の「成人」を祝ってくれるのかもさっぱりわかりませんでした。以来、後期高齢になった今も成人式の意味がわからず、市の行政経費のムダ使いだとさえ考えています。
さらに、成人式という虚構にかこつけて、晴れ着レンタル業界と主催者の市町村担当がまるで癒着しているかのような、官民一体による大仕掛けのファッションイベントと化していること。まことに不可解です。何が問題か。あのレンタル晴れ着、大半が親の負担。呉服店やデパートでオーダーメイドしたとしたらかなり高額。これも親のヤセ我慢。これをムダ使いだと言うのは、私が偏屈な貧乏人なのでしょうか。普段は物価髙に悩みながら、息子・娘の晴れ着代は別会計なのか。それにしても、晴れ着のレンタル料を仮に二十万として、令和八年の新成人が約百万人、その半数がレンタルの晴れ着だとして、十億円からの親の負担、ヤセ我慢、ムダ使い。大学二年の年度末試験の真っ最中だった私は成人式どころではありませんでした。東京・神田神保町の本屋街で試験対策の参考書を買い漁っていました。薄給の大学教授だった父から地味なネクタイが下宿に届いたのを思い出します。
私が言いたいのは、「成人」つまり大人になるということは、個々人の人間的成長の自覚の問題、つまり社会参加や社会適応能力とか経済的自立の自覚の問題であって、政治行政の復古主義によって強制される祝いごとではないということ。まして、高価なレンタル晴れ着を着かざって、形骸化して退屈な式典は早々にして、中学の同窓会まがいのことをやって悦楽しているのは、まったくの見当ちがいだということです。
話は転じて、ムダ使いの反対の「もったいない」文化の一例です。栃木県には、今はだいぶ見られなくなりましたが、初午・節分の時季にお赤飯と「シモツカレ」という郷土料理を用意し、初午の日にお稲荷さんに供え、また家庭でいただきます。
「シモツカレ」の食材は、正月に残った荒巻鮭の頭のぶつ切りと、節分に使う福豆と、鬼おろしで粗く摺った大根・にんじんと、酒かすで、それを大きな鍋や釜でごった煮にします。調味料は必要なく、荒巻鮭の頭から出る塩味や酒かすから出るコクで充分。できあがった「シモツカレ」を一日おけばしんしんと冷たくなり、それを手のひらに乗せ、アツアツのお赤飯といっしょに食べるのが伝統です。
この「シモツカレ」には、正月の残りもの(荒巻鮭の頭)や酒かす、それに旬を過ぎた大根・にんじんを捨てることなく、有るものを使って工夫し、季節の供物・食べ物に仕上げる「和」の知恵と、物を粗末にしない「もったいない」の精神が集約されています。
成人式晴れ着のムダ使いと「シモツカレ」の「もったいない」精神、私は後者に軍配を上げます。
「シモツカレ」の食材は、正月に残った荒巻鮭の頭のぶつ切りと、節分に使う福豆と、鬼おろしで粗く摺った大根・にんじんと、酒かすで、それを大きな鍋や釜でごった煮にします。調味料は必要なく、荒巻鮭の頭から出る塩味や酒かすから出るコクで充分。できあがった「シモツカレ」を一日おけばしんしんと冷たくなり、それを手のひらに乗せ、アツアツのお赤飯といっしょに食べるのが伝統です。
この「シモツカレ」には、正月の残りもの(荒巻鮭の頭)や酒かす、それに旬を過ぎた大根・にんじんを捨てることなく、有るものを使って工夫し、季節の供物・食べ物に仕上げる「和」の知恵と、物を粗末にしない「もったいない」の精神が集約されています。
成人式晴れ着のムダ使いと「シモツカレ」の「もったいない」精神、私は後者に軍配を上げます。
蛇足を一つ。高市総理がまた口をすべらせ、総理大臣として言ってはいけない禁句を言ってしまいました。「(円安のおかげで)外為特会は今ホクホク状態」ですと。一国の大統領や総理大臣は、国際市場に影響を与えるような発言を慎むことがイロハのイですが、選挙演説の興に乗って口をすべらせました。この失言があった一月三十一日は土曜日で、翌日曜日はたまたま新聞のない日だったため、大きく報道されませんでしたが、本来なら「高市総理が円安を容認」(物価高の要因である円安を容認)だとさわがれる失言でした。ほんとうに口が軽い総理で困ったものです。自分自身の保身のためなら、国民生活のために物価髙対策を議論するはずの通常国会をあとまわしにし、八百五十五億円の国費を使って衆議院選挙を強行する、自分勝手で狡猾な人で、吉田茂からずっと総理大臣を見てきた私の目には、史上最悪の総理に見えますが、日本の保守層は高市人気で、まるでキツネにだまされているようです。
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