蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

令和3年(2021)

■新年号より■

●新年の句
年神や またもお世話に なりまする小林一茶
酒も好き 餅も好きなり 今朝の春高浜虚子
一年は 正月に一生は 今にあり正岡子規
門松や 思えば一夜 三十年松尾芭蕉
正月の 墓参の坂を 老姉妹星野立子
雪中梅 咲く田舎の 正月尾崎放哉
一人正月の 餅も酒もあり そして山頭火
一心に 祈願すコロナ 退散を住職

■春号より■

●平成二十三年(二〇一一)三月十一日の東日本大震災の時、多くの被災者の避難先が学校の体育館の冷たい床でした。さらにそこでの避難生活と言えば、食べるものもなければ、暖房もなければ、トイレもすぐに汚れ故障して悪臭を放ち、とても人間が生活をする場所ではありませんでした。フクシマの原発事故で突然故郷を追われた人たちの一部が、埼玉のスポーツ施設や廃校に連れていかれ、通路や教室の床に雑魚寝(ざこね)させられる光景をテレビで見た時は愕然としました。これが世界で有数の豊かな国ニッポンか、あまりに非人道的な扱いにわが目を疑いました。
親や子を失くし、兄弟姉妹を失くし、大切な人を失くし、家を失くし、財産を失くし、職場を失くし、仕事を失くし、思い出の品々までも失くし、故郷を追われ、途方に暮れる人たちに、学校の体育館の冷たい床で雑魚寝することと、冷たい食事と冷たい水しか用意できない、豊かな国のはずのニッポン。どこが世界有数の先進国なのだと憤りもしました。
豊かな国のはずのニッポンの、実は豊かではない実体=天災地変などの緊急危急の時、国民を人間らしく保護できないこの国の実体、民主憲法が言う基本的人権が守られない非民主のこの国の実体を、天災地変が次々と暴露しているようでした。
さらに、平成二十七年九月、東北・関東(線状降水帯)豪雨で鬼怒川が氾濫して大洪水になった時、翌年の平成二十八年四月、熊本・大分で起きた熊本地震の時、翌年平成二十九年七月、九州北部豪雨の時、そして令和元年十月、台風十九号の記録的な大雨による東日本各地での河川氾濫の最中、この栃木市でも洪水によって市街地が冠水し床上浸水が多発し、緊急避難所になっていた学校の体育館や敬老施設すらも浸水し避難者が逃げまどうことになった時、つくづくこの国は国民が危急の時に、いざという時、国民の生命・財産を守れない国、国民を安全・安心に保護する備えができていない国、すなわち国民主権・国民福祉という国の根幹がおろそかにされてきた国、政治や行政が国民の方を向いてこなかった国、だということを、天災地変があばいたのです。いつから、国民が緊急に避難する方法は学校の体育館や公共施設での雑魚寝と決まったのでしょう。広いスペースがあれば、冷たいフロアでいいというのでしょうか。
 そこに今また、新型コロナウィルスという未知の病原菌が、この国の危機管理のお粗末さに警鐘を鳴らしています。災いは突然やってきます。急に降ってわいたコロナ感染問題。今度は同じ自然現象でも天災地変とちがって目に見えない幽霊のような病原菌との闘いです。しかも、時間の経過とともに状況が良くなるわけではなく、長くていつ終るかわかりません。発生から一年を過ぎましたが、まだ世界中で感染拡大が続き、変異株が新しい脅威になってきています。

こんな未曽有の国家的危急の時、この国の政府のやることは、すぐに外国からの渡航者を止めることもせず海外からのウィルス侵入を許し、感染拡大のもとになるに決っている過密都市の東京・大阪をロックダウン(立ち入り禁止)するわけでもなく、ただちに都道府県・市町村に徹底して地域住民のPCR検査を行い、感染者と非感染者を分けることもせず、市中に無症状感染者を野放しにし、一方ではマスクが容易に手に入る頃になって意味のないマスクを国民に配布したり、感染者もいない地方の学校まで一斉に休校としたり、ちぐはぐなお役所仕事。いくら未知の感染症とは言え、政府のノロノロ・マゴマゴぶりとまん延防止要請・緊急事態宣言のくり返しに、国民は飽きてシラケてきました。
この一年、結局のところ、三密を避け、不要不急の外出を自粛し、他人との接触を極力避け、換気し、ウガイをし、手の消毒をし、熱をはかり、ディスタンスを保ち、アクリル板を置く、といったガマンと辛抱を国民に強いただけ。つまりは、日本人の、公衆道徳・公衆衛生をちゃんと守り、個人の都合よりも社会の秩序を優先する、善良な国民性に頼りっきりで、有効な医学的・保健的・社会的・行政的対策もなく、ただただ経済活動を維持しながら感染の拡大を防ぐという「二兎を追う者、一兎をも得ず」の路線にこだわっています。
この役所的責任回避路線、ある評論家の話では厚生労働省の担当上席医務官が元凶のようですが、それに追随する菅総理も菅総理です。コトが起きてから考える、合意形成や意思決定に時間がかかる民主的な方法論や、主権の制限に気を取られ、グズグズ・ノロノロ・モタモタ。変異株型のウィルスがまん延するとたちまち医療体制が追いつかず、通常の診療・治療にも大きな制約・制限が出てくる始末です。こともあろうにワクチン調達も大きくおくれ、皮肉にもこれまで国が手厚いことをしてこなかった保健機関や医療機関に従事する方々の、献身的・人道的な自己犠牲に助けられています。国家的な危急の時に、すばやく有効な手が打てない、頼りにならない、国民に安全・安心を届けられないこの国の危機管理能力のなさに、若者がまずシラけ、この頃は中高年まで国や都道府県の懸命な呼びかけや要請・宣言を無視するようになりました。この「ゆるみ」、明らかに政府不信です。
●以下、コロナストレス解消の心のお薬です。
春風や 牛に引かれて 善光寺(ぜんこうじ)小林一茶
筍(たけのこ)や 目黒の美人 ありなしや正岡子規
春水(しゅんすい)や 四条五条の 橋の下与謝蕪村
鶯(うぐいす)や 文字も知らずに 歌心高浜虚子
老僧と 一期一会(いちごいちえ)や 春惜しむ
春惜しむ 命(いのち)惜しむに 異ならず
もう明けそうな 窓あけて 青葉
山頭火
青葉わけ行く 良寛さま 行かしたろ
シャガ早く アイリス早し 今年の春
住職

■秋号より■

●この夏、七月のお盆は、やむなく市内の檀家さん回り(棚経)を自粛しました。その代り、お盆中、本堂で、住職が、檀家さん一家一家ごとに、「○○家先祖代々菩提のために」ではじまるお盆供養のお経を、お唱えさせていただきました。
七月盆の檀家さん各位には、この異例のやり方に暖かいご理解をいただき、どちら様もお盆供養料をお寺の方にお届けくださいました。今年は特別の異例なことでしたが、ご理解ご協力をいただき厚く御礼申し上げます。
●八月のお盆は、副住職が亡くなりましてから、ここのところ棚経を休止しておりますが、その代り、お盆中、本堂で、住職が、檀家さん一家一家ごとに、お盆供養のお経をお唱えしております。
毎年、お志ある方には、お盆供養料を届けていただいておりますが、今年も暑いなかマスクをしながら多数の方がお届けくださいました。ご理解ご協力に厚く御礼申し上げます。お届けのない方には、来年ご留意いただければ幸いです。
●お正月早々につづきまして、七月お盆の前に、変異株(デルタ株)ウィルス感染防除守護とご家族安全守護の新しい特別祈願「護符」(「金」の御札)をお送りいたししました。「金」は歯にも使われるように病毒にも強いと言われているのを参考にしました。「いいものをいただいた」とか「仏壇にかざって毎日手を合わせています」など、いろいろな感想が聞こえてきました。
●栃木市内は県内でもコロナ感染者数が多い方で、政府の緊急事態宣言よりも早く、県とともに独自の緊急事態宣言を出すなど、新型変異ウィルスの拡散が目立っています。首都圏由来は目に見えていますが、意外にコロナ感染に無頓着なことも気になります。
●先日、ある葬祭ホールで、お通夜の準備らしく、何百もの返礼品が、受付ロビーの一隅に並べられはじまったのを目撃しました。おそらく、その日の夕刻、お通夜の予定だったにちがいありません。お通夜も最近は、時刻には関係なく、来られた人はどんどんお焼香を済ませて帰っていただき、会食はしない例が多くなり、その日もそうだったと思いますが、それにしても県も市も独自の緊急事態宣言発令中の時に、多くの人に会葬していただくことは、感染リスクを避ける意味で、集団感染を防ぐ意味でいかがなものか、こんな厳重警戒の時でも、まだまだ感染防止よりも葬儀の際の義理を優先する風潮がまさっているのかと、複雑でした。
●8月6日のヒロシマの平和祈念式典における菅総理の「読み飛ばし」と、8月9日のナガサキの平和祈念式典における菅総理の遅刻は、被爆者とその家族に失礼な失態でした。ああいうことなら、ヒロシマ・ナガサキに総理がいく意味がありません。「心そこにあらざれば」の現れです。原爆の悲劇や被爆者とその家族の筆舌にしがたい苦難を風化させてはならない誓いの式典ですが、菅総理のなかではもう風化しているのでしょう。被爆者の前で挨拶するのなら、前もって原稿を二~三回読んでおくのが当然です。
●菅内閣というより菅総理の支持率がきょうの報道では二七%、不支持率が七二%。政権末期の状況です。最近のコロナ感染者数の過去最高更新の事態は、ひとえに国民が菅総理の言うことを聞かなくなったことに尽きます。すなわち、感染の急拡大は政府の対策つまりは菅総理に対するNO、愛想が尽きていること。言うことを聞かないのは、国会デモに代る国民の声なきレジスタンス運動です。総理はワクチンを手柄にしようと思っているようですが、地方のワクチンの現場では、いくら市のコールセンターに電話してもつながらない、ネット予約しようとしてもつながった頃には予約終了、ということをご存じないのでしょう。
●オリンピックは日本選手の活躍や好成績でわきましたが、ややもするとテレビのさわぎ過ぎ・はしゃぎ過ぎでもありました。日本選手の活躍と好成績には無条件で拍手しながら、頭のどこかでこんな時もコロナ患者のために休むことも寝ることもできないでいる医療従事者のご苦労が頭をよぎり、「よっしゃ!」とはいきませんでした。
●それにしても、よくよくケチがつきっぱなしのオリンピックでした。思えば、新国立競技場の設計問題にはじまり、猪瀬東京都知事はお金の問題で失脚し、次いで升添知事が公用車の私的使用問題で辞任。また選ばれたエンブレムのデザイン盗作問題、森委員長の女性蔑視発言、開会式演出の佐々木宏氏の「ピッグ」案問題、開会式音楽担当の小山田圭吾氏のいじめ問題、絵本作家ののぶみ氏の出演辞退、開会式・閉会式ショーディレクターの小林賢太郎氏解任、大きなニュースにはなりませんでしたが、聖火ランナーに選ばれていた著名人・芸能人の相次ぐ辞退、ボランティアの相次ぐ辞退等々。さらに開会直前まで、世界中がコロナパンデミックの最中にオリンピックか、水際での感染対策は万全ではない、中止せよ、という世論に翻弄され、加えて観客を入れるか無観客か、そこに開会式イベント担当者が相次いで辞任・解任と、よくぞ不手際を重ねたものです。組織委員会は一部の硬直した考えの役員が牛耳られているとの声ももれてきました。そこへ、開会式で天皇陛下の「開会宣言」がはじまっても、菅総理と小池知事は坐ったまま、という不祥事が起き、これも組織委員会の不手際で、天皇陛下の「開会宣言」の際にあるべきだった「皆さん、ご起立ください」というアナウンスが入らなかったためで、組織委員会は各方面への謝罪に追われました。さて、パラリンピックはどうなることでしょう。