蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

令和2年(2020)

■新年号より■

●新年明けましておめでとうございます。
令和二年。西暦二〇二〇年。
干支は、子(ね、ねずみ)年。恵方(歳神様の方位)は、南寄りの西の方角。
●子年生まれの人は、
長所 正直で愛嬌がある 几帳面で細かいことが得意 ムダ使いせず 貯蓄を心がける。
短所 温厚に見えるが怒りやすい 利己心が強く小心 ひとのことを気にし ひとの批評を好む。
運気 ひととのつきあいが長く続かない 女性は色禍に要注意 財を失くすことあり 晩年は比較的安泰。
守り本尊 千手観音(せんじゅかんのん)。
ご真言 オン バザラ タラマ キリク ソワカ
●新年の俳句
ふくよかに すわりめでたし 鏡餅村上鬼城
書初めの うゐのおくやま けふこえて高野素十
枕辺へ 賀状東西 南北より日野草城
呉竹の 根岸の里や 松飾り正岡子規
一人居や 思ふ事なき 三ヶ日夏目漱石
年新た 心新たに つつしみて山口青邨
七草を 祝いしみじみ 日本かな稲畑汀子
●新年の唱歌
  年の始めの 例(ためし)とて
  終りなき世の めでたさを
  松竹(まつたけ)立てて 門(かど)ごとに
  祝(いお)う今日こそ 楽しけれ

  初日(はつひ)のひかり さしいでて
  四方(よも)に輝く 今朝のそら
  君がみかげに 比(たぐ)えつつ
  仰ぎ見るこそ 尊(とお)とけれ
●新年の古歌
  我が君は 千代に八千代に
  細石(さざれいし)の 巖(いわお)となりて
  苔(こけ)の生(む)すまで
-読み人知らず-
(『古今和歌集』私撰秀歌 巻第七 「賀歌」歌三四三)
今年の夏の東京オリンピックで何度も聞くことになるであろう国歌「君が代」の元歌です。『古今和歌集』にありました。この歌には、時代とともに「君が代は」ではじまったり、「千代にましませ」になったり、などの変化がありますが、「君(天皇)の御世が、小さな石が大きくなって盤石となり、それに苔が生えるようになるまで、長く続いてほしいもの」という年賀の歌です。
●新天皇が「即位礼正殿の儀」で「高御座(たかみくら)」からご即位を国の内外に宣言することについて、「三種の神器」の剣と璽(勾玉)をともない、国民の代表を見下ろす「高御座」に登壇することや、神々しい登場を演出する「宸儀初見」の復活は、君主制や神道の色彩を強く反映し、憲法上の疑義が残る、といった批判がありました。
しかしそうしたことは、昭和五十二年(1977)の最高裁大法廷の判決<憲法の政教分離規定は国家が宗教とのかかわり合いをもつことを全く許さないとするものではなく、相当とされる限度を超えるものと認められる場合にこれを許さないとするものである>で決着をしています。神道が国民に限度を越えて強制されないかぎり違憲ではありません。
周知の通り、天皇は神道と不可分で、現に宮中で行われている伝統習俗であり、「政教分離の原則」が及ぶ世界ではありません。従って、ご即位が国事行為だとしても、天皇にとって最高の晴れの儀礼に神道のしつらえや古礼法がともなうのは当然です。「高御座」も「剣と璽(勾玉)」も「宸儀初見」も天皇に当然付随する神道の礼具・礼法で、「政教分離」「国民主権」で見るものではありません。テレビを見ながら、天皇・皇后両陛下はじめ皇族方・宮内庁職員の古式ゆかしい服装(宮中最高の晴れの儀式に着用する装束)といい、「高御座」(たかみくら)や「御帳台」(みちょうだい)の威容といい、張りつめた緊張感のなかに響く楽音とその音で進行する静謐な儀式といい、近代的ながら厳かな皇居・宮殿のたたずまいといい、みな日本の伝統文化の極みに立つものであり、それらを目の当たりにした外国の賓客は日本の伝統文化の深さと歴史の重みに感銘を受けたことでしょうし、国内からの参列者も改めてこの国の伝統文化に誇りと喜びを感じたのではないかと思いました。
 そして、天皇という存在や「即位礼正殿の儀」という儀礼があればこそ最高レベルの日本の伝統文化を世界に発信できることや、国民が等しく天皇を敬慕してやまないのは、日本の伝統文化の極みに立つ天皇の、その威厳と品格に満ちたお人柄に尊敬と信頼を寄せるからだと思いました。また、「国民とともにある」「国民に寄り添う」天皇に被災者などが涙するのも、この威厳と品格の高さからへりくだってくださる有難さ・もったいなさに心が動くからだとも思いました。
 憲法では天皇を「日本国及び日本国民統合の象徴」と言いますが、中学生の時に「象徴」天皇とは学校の校章あるいは学帽のバッヂのようなものだと教えられて以来、ずっと意味がよくわかりませんでした。大人になって天皇とは「国父」といった議論を耳にし少しわかったつもりでいましたが、このたび「即位礼正殿の儀」の天皇を見てやっと「象徴」天皇というものが腑に落ちました。「象徴」天皇とはまさに、日本の国家的な「尊厳」や国民の「品格」の「象徴」なのです。

■春号より■

●この四半世紀、「未曽有」の「今まで経験したことがない」ことが次々と起きています。
平成七年一月十七日、朝五時四十六分、神戸市・淡路島を中心に兵庫県・大阪府・京都府に甚大な被害を与えた阪神・淡路大震災。とくに神戸市内の被害はひどく、私たちは心を震撼させました。
次いで、同年三月二十日(お寺では春彼岸の真っ最中)、東京都心で発生した地下鉄サリン事件。宗教団体オウム真理教による宗教テロでした。人々の心に安らぎを与えるためにある宗教が大量殺人に及ぶとは、誰もが思いもしないことで、私たち人間の良心にとって「未曽有」の「今まで経験したことがない」できごとでした。
続いて、平成二十三年三月十一日、午後二時四十六分、東北地方の太平洋沿岸を大津波が襲った東日本大震災。さらに東京電力福島第一発電所の四つの原子炉すべてが壊滅的な打撃を受け、もう少しで首都東京をふくめた東日本の大部分が放射性物質の汚染によって壊滅するところでした。
そして今回の新型コロナウィルス感染拡大問題。PCR検査液がない、マスクがない、防護服がない、フェイスガードがない、検査人員が足りない、発熱外来がない、ワクチンがない、特効薬がない、のナイナイづくしの上、病院や施設で集団感染が起き、軽症者を隔離する施設がない、医療崩壊が起きかねない。「未曽有」の「今まで経験したことがない」感染症への備えとノウハウが全く整っていませんでした。後手後手の安倍政権、苦悩する都道府県知事。
●特効薬とワクチンがない現状で打てる対策と言えば、人と人の接触感染を防ぐため、イベント・集会・会合・会食・遊興などの密集・密閉・密接の三密をさけ、不要不急の外出は自粛して、他県との往来はしない、など、医学・医療・医薬・防疫法といった文明の利器が効果的に力を発揮できないうちは、たよりは国民の公衆衛生のモラル、清潔感、社会秩序を守るがまん強さ、ストレスに対する辛抱強さ、緊急の時には一致団結するまじめな国民性、です。
●そのまじめな国民性に支えられて、感染拡大は何とかおさまりつつあり、首都圏など一部をのぞいて緊急事態宣言は解除になりましたが、外出や人の往来が増えればまたぶりかえすことが中国や韓国やドイツやイタリアで起きています。このくり返しは、特効薬やワクチンが私たちに身近な医療機関に出回るまで続くことになるでしょう。来年の東京オリンピックまでには何とかしてもらいたいと願うばかりです。
●アメリカのトランプ大統領が、大統領選挙の宣伝用に言っているのかわかりませんが、ウィルスの拡散を防げなかった中国の責任を言い出しました。損害賠償請求を言う国もあります。発生源は武漢市ですが、コウモリから出た鳥インフルエンザウィルスとは本当でしょうか。
●緊急事態・緊急避難がたびたび起き、これからも起きることが予測される時代。つくづく思うことは、国民・市民・住民がいざという時に安全に安心して隔離・避難の生活ができる施設がないということ。栃木市でも昨年秋の水害で痛感させられました。
そこで一案です。栃木市で考えると、
  1. ①旧栃木市地区に二~三ヶ所、西方・都賀・大平・岩舟・藤岡地区に各一ヶ所ずつ、感染症拡大及び水害等の災害の際の緊急隔離・避難施設を急ぎ整備する。
  2. ②この施設は、主たる事業として平時は自然エネルギー発電事業を行い、施設の電力をまかなうほか、余りの電力を売電し管理運営資金に充てる。発電の能力を持っていることにより、大規模停電・節電にも対応できる。
  3. ③この施設はまた、市の防災センターを兼ね、旧栃木市地区の一ヶ所を総合管理センターとし、他を支部センターとする。平時から防災担当のスタッフが常勤し、必要に応じて福祉担当・医療担当等のスタッフが詰める。
  4. ④この施設は、感染症の拡大時には、隔離者約二〇〇人の医療行為がすぐにできるスペース、医薬品・医療機器等の備蓄スペース、医師・看護師等の事務・休憩スペース、臨時的な隔離病室スペース、臨時的な一般病室スペースを確保する。
  5. ⑤災害時には、避難者約一〇〇〇人が長期避難生活に耐えられるよう、快適で人間らしい行き届いた生活ができるスペースを臨時に確保できるようにする。
  6. ⑥また、感染症の拡大防止対策として、防疫体制を確保した上で、地元医師会の協力を仰ぎ、ドライブスルー等による発熱外来を行い、重症者・中程度者は然るべき病院を紹介し、軽症者は隔離スペースに収容する。
  7. ⑦その他、隔離生活・避難生活に必要なスペース(生活用品備蓄スペース、浴場、多めのトイレ、談話室・娯楽室、子供用の遊び・学びのスペース等々)、ボランティア等のスペースを確保する。
  8. ⑧この施設は、水害の時を考慮し、市内の比較的高台の適地に整備し、アクセス道路を広くとる。施設の周辺には広い駐車スペースとヘリポートなどを兼ねた予備的な広場を確保する。
  9. ⑨この施設へのアクセス道路は、水害の時を考慮して必要なところを高架にする。
  10. ⑩この施設に隣接して道の駅・コンビニなどの食料品販売スペース及びレストラン・食堂を整備する。このレストラン・食堂は避難者・隔離者の食事もまかなう。
  11. ⑪この施設は、平時には、市民が会議・集会・研修・制作・展示・教室・講演会・発表会などで多目的に活用でき、賃料はできるだけ少額とする。また浴場・談話室・娯楽室を少額有料の敬老施設としても利用可能とする。
  12. ⑫この施設の維持経費は、主として売電の収入でまかなう。不足ある時は市が負担する。その際、財政上の費用対効果は求めない。

■秋号より■

●夏の思い出(江間章子作詞、中田喜直作曲)
  夏がくれば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空
  霧のなかに うかびくる やさしい影 野の小径(こみち)
  水芭蕉(みずばしょう)の花が 咲いている
  夢見て咲いている 水のほとり
  石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる
  はるかな尾瀬 遠い空

夏になると尾瀬ヵ原の木道や燧ヶ岳・至仏山や上高地の河童橋や穂高の稜線や白馬岳の大雪渓や立山の雷鳥や立山山頂~黒四ダムの下山道を思い出します。五十年も前の昔話ですが、重いリュックをかついで山を歩いていました。ダークダックスの「山男の歌」がはやった頃です。山小屋でもテントでも新型コロナウィルスの心配もなく、大きな地震もなく水害もなく、安心して山に入れました。この夏は、登山者も山小屋もコロナ感染対策で大変でしょう。マスクをして山道を歩くなど昔は想像もしませんでした。
●この夏、七月のお盆は、やむなく市内の檀家さん回り(棚経)を自粛しました。その代り、お盆中、本堂で、住職が、檀家さん一家一家ごとに、「○○家先祖代々菩提のために」ではじまるお盆供養のお経を、お唱えさせていただきました。
七月盆の檀家さん各位には、この異例のやり方に暖かいご理解をいただき、どちら様もお盆供養料をお寺の方にお届けくださいました。今年は特別の異例なことでしたが、ご理解ご協力をいただき厚く御礼申し上げます。
●八月のお盆は、副住職が亡くなりましてから、ここのところ棚経を休止しておりますが、その代り、お盆中、本堂で、住職が、檀家さん一家一家ごとに、お盆供養のお経をお唱えしております。
毎年、お志ある方には、お盆供養料を届けていただいておりますが、今年も暑いなかマスクをしながら多数の方がお届けくださいました。ご理解ご協力に厚く御礼申し上げます。お届のない方、ご留意いただければ幸いです。
●七月お盆の前に、新型コロナウィルス感染防除ご守護とご家族安全ご守護の特別祈願「護符」(「金」の御札)をお送りしました。「金」は歯にも使われるようにサビない・クサラないなどすぐれた特性がたくさんあることから病毒にも強いと言われているのを参考にしました。予期以上に反応があり、「いいものをいただいた」とか「仏壇にかざって毎日手を合わせています」など、いろいろな感想が聞こえてきました。
●栃木市内は県内でも感染者数が多い方で、最近も二例出ました。東京・神奈川・埼玉・千葉に在住の方はもちろん、栃木県内・市内在住の皆さんも、ひととの接触や人ごみのなかで一層のご注意を。檀家さんから感染者が出ないよう日々祈っております。
●今から約一〇〇年前、太平洋の島々から北極圏に至るまでスペイン風邪(鳥インフルエンザ)が大流行し、感染者五億人、死亡者一七〇〇万人~五〇〇〇万人というパンデミックが起きました。この時日本では、第一波が大正七年十月~翌大正八年三月、第二波がその十二月~翌大正九年三月、第三波がその十二月~翌大正十年三月で、その七月に終息しました。感染者約二三八〇万人、死者約三十九万人という大惨事になりました。
思えば感染症の歴史は古く、紀元前五世紀にはギリシャのアテネでペストが流行。紀元六世紀には東ローマ帝国で、十四世紀にイスラム世界やヨーロッパ各地で猛威を振い、十七世紀にはヨーロッパ・中国で、十九世紀末には中国を感染源とするペストが世界中に拡大しました。二十世紀のはじめにも、中国の沿岸部や台湾・日本・ハワイで流行し、アメリカ・東南アジア・南方アジアにも広がりました。
また麻疹(はしか)は、十世紀の終り頃日本全国に流行し、平安京の朝廷貴族にも多数の死者が出ました。
天然痘の歴史は一番長く、紀元前十一世紀にはエジプトで確認され、紀元二世紀にはローマ帝国でも流行したと見られています。十八世紀末、ジェンナーがはじめた免疫療法の種痘が成功し、二十世紀になってアフリカで一時流行しましたが、昭和五十五年にはWHOから根絶宣言が出されました。天然痘にかかった人には、モーツァルト、スターリン、トーマス・ジェファーソン(第三代アメリカ大統領)、日本では藤原家四兄弟のほか、藤原道隆・同道兼、源実朝、伊達政宗・豊臣秀頼、吉田松陰、孝明天皇、夏目漱石らがいます。
コレラは、何回も世界中でパンデミックを起していて、今でも家畜感染を通じて身近な問題です。日本では、安政五年~文久元年に安政コレラが大流行し、江戸市中だけでも十万人が死亡したといわれています。翌文久二年にも、江戸で七万三〇〇〇人が命を失いました。明治時代の流行でも、しばしば一〇万人規模で犠牲になっています。
このほかに、ジフテリア・チフス・発疹チフス・腸チフス・パラチフスなどが毎年のように流行し、とくに、乳幼児や幼児期の子供が犠牲になりました。当山の「過去帳」にもその形跡が認められ、毎日のように幼児の戒名が記されている時代があります。
結核は太古の昔から地球上にある感染症で、日本では明治のはじめまでは「労咳(ろうがい)」「ころり」と呼ばれた不治の病で、昭和十年~二十五年には、一番死亡率の高い難病でした。
著名人では、幕末新選組の沖田総司、維新の志士高杉晋作、俳句の正岡子規、さらに陸奥宗光、樋口一葉、石川啄木、国木田独歩、高山樗牛、竹久夢二、堀辰雄、長塚節、中原中也、梶井基次郎、滝廉太郎、佐伯祐三、新島襄、秩父宮雍仁親王、そのほか紡績上場の女工、下級兵士をはじめ、次から次へと感染し、国民の間では「亡国病」と言われました。