蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

平成28年(2016)

■新年号より■

●敬礼三宝 謹賀新年
昔、弘法大師は、唐の都長安で
本流の仏教(真言密教)のほか、世界レベルの文化・知識を学び
帰国後、嵯峨天皇から求められ、天皇や宮中のブレーンになりました
世界一の国際都市・長安で学んだ
成熟した国づくりをモデルに、真言密教の教えをもとにして
平安京と国家のグランドデザインを示しました
戦後70年、この国もそろそろ「成長」から「成熟」へ
●門松を なお右肩上げて 飾りたし(弘隆坊)
 新年明けましておめでとうございます。
 平成28年、西暦2016年、申歳が明けました。
 今年の恵方(えほう、歳神様がいる方角)は南東方向。
●年男・年女(申歳生れ)
長所 才知にあふれ、向上心も旺盛で、器用で、ひとに愛され、また世話好き。活動的で味方も多い。
短所 多感・多情。軽挙妄動して損をすることがある。栄えたり衰えたり、山あり谷あり、落ち着かない。
運気 あまり調子にのらず、他人に頼り過ぎず、自分を過信せず、誠実に生きれば、運気よし。
守り本尊 大日如来
ご真言 オン バザラダト バン
●新年を迎え、
元旦・2日と大師堂において新年大護摩供を厳修し、家内安全・身体健全・当病平癒・開運厄除・商売繁昌・事業繁栄・受験合格・交通安全など、心願成就を祈願いたしました。法要後、客殿2階大広間で恒例の「厄除のおしるこ」をめしあがっていただきました。新年早々多くの皆様がご家族おそろいで参加され、にぎやかに厳修できましたことを感謝申し上げます。
●初春の俳句五首
めでたさも 中くらいなり おらが春一茶
指につく 屠蘇(とそ)も一日 匂いけり梅室
初春や 思うことなき 懐手(ふところで)紅葉
ふるさとの 年新たなる 墓所の雪蛇笏
ひとり煮て ひとり食べる お雑煮山頭火
●新年早々に初詣に出かけられた方も多いと思います。
年末の24日~25日にはクリスマスケーキを食べ、大晦日にはお寺で除夜の鐘を突き、明けて元旦には神社に初詣と、日本人は決った信仰がなく宗教には無節操だとか無宗教などと言われますが、いやいやそうではありません。
宗教学ではこれを「シンクレティズム」(混淆・習合)と言い、一神・一教に片寄らず、多様性を好む日本人の心の豊かさの表われです。この国では昔から神と仏が共存(習合)してきました。「一」にかたくなにならず「多」を認めるのが日本人の成熟した知恵です。
●三元日の初詣客数でトップスリーの常連である
成田山(成田)・川崎大師(川崎)・伏見稲荷(京都)。成田山と川崎大師は当山と同じ宗派の真言宗智山派。伏見稲荷は弘法大師のゆかりの稲荷大社。皆弘法大師と縁の深い寺社です。弘法大師は宮中で国家安穏・万民豊楽を祈願する新年の行事を始められた人ですが、くしくもそれが三元日の初詣の人出数につながっているようです。
●この例でもわかるように、
弘法大師を開祖とする真言宗のお寺は、もともとは国家安穏・万民豊楽を祈願するお寺です。当山も開創の当初から江戸時代の初めまでそうでした。檀家さんを持ちお葬式・法事を行うようになったのはそれ以降で、真言宗のお寺は「祈願」と「供養」の両方を行うようになりました。
 当山では、護摩祈願の大師堂と先祖供養の本堂があり、祈願と供養の両方が可能です。菩提寺はお葬式や法事やお墓参りの時だけでなく、新年の護摩祈願のように現世安穏・身上安全を祈るところです。何かあったら先ず大師堂の開運厄除大師に祈りましょう。
●昨年の9月、
自然災害もめったになく住みよい町だった栃木市が線状降水帯による集中豪雨に見舞われ、至るところ冠水して町中がまるでプールのようになりました。当山は地面が高いため浸水被害はありませんでしたが、墓地は水の逃げ場がないせいか一時ヒザあたりまで冠水状態でした。檀信徒の皆様のなかには、住居やお店・事業所などが床上浸水したり、田畑が冠水したり、避難生活を余儀なくされたりした方が相当おられたと聞きます。改めて遅ればせながらですがお見舞い申し上げます。
●昭和45年11月25日の白昼、
東京・市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監部で、作家で日本の戦後体制(とくに憲法)に批判的だった三島由紀夫が、憲法改正のためのクーデターを自衛隊員に呼びかけ成功せず、自決してから昨年は45年。
 時が経って憲法改正も現実味を帯び、東京オリンピックを機に、日本らしい成熟したモードやマナーを世界にアピールする動きも始まっています。三島は少し早過ぎました。生きて日本の在りようをもう少し言い続けるべきでした。
 思うところがあり、三島の代表作と言われる『仮面の告白』『金閣寺』と『豊饒の海』(『春の雪』『奔馬』『暁の寺』『天人五衰』の四部作)を読み直してみました。改めて、美しい文飾に感嘆する一方、最期の作品『天人五衰』の結末に三島の心の奥を見た思いです。
●従軍慰安婦問題をテーマとした著書『帝国の慰安婦』で、
客観的な関係資料を調べると韓国女性の慰安婦のなかには「自発的に慰安婦になった人」や「日本軍とは同志のような関係になった人」もいたと明言し、客観的な史実の立場に立って日韓が和解するよう主張した世宗(セジョン)大学の朴裕河(パク・ユハ)教授が、韓国の検察当局から「元慰安婦の名誉を傷つけた」と名誉棄損罪で在宅起訴されました。朴教授は「言論・思想・学問の自由への侵害」「非人権的」と抗議をしています。韓国では史実や本当のことが通用しません。
 私たちは韓国を近代的な民主主義国家だと思っていましたが、それは間違いでした。あの国の実態はいまだに財閥やエリート血族が支配する前近代国家で、ましてや成熟した民主主義国家などではありません。国民のご機嫌に左右されやすい風評民主主義などと言われています。
 今の文政権は「韓国挺身(ていしん)隊問題対策協議会」(挺対協)」(現在は「日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯」(正義連))の反日運動に迎合し、朴教授のような学識者の客観的な意見になど耳を貸しません。依然としてやられたものはやり返す韓流ドラマと同じです。

■春号より■

●神も仏もあるものか
またも大地が大きく揺れ動き、地が裂け、山が崩れ
家は潰れ、傾き、多くの尊い人命が失われました
戦国の猛将加藤清正が造った名城熊本城も無残な姿に
東日本大震災の時 東北で家族をみんな失くした老婆が
神も仏もあるものか、と声を震わせましたが
この痛哭に日頃仏を説く私に答える言葉はありませんでした
熊本から同じ声が聞こえてきても不思議ではありません
●熊本が地震で大きな被害を受けました。
阪神淡路、中越沖、中越、東日本に続く数年おきの大震災。大地の怒りはいつまで続くのでしょう。新聞の報道によれば、熊本の被災地ではため息がよく聞かれるとのこと。むべなるかなですが、大地震に続いて津波・放射性物質の汚染に追い打ちをかけられたにもかかわらず、めげずに復興の途上にある東北の人たちをお手本に復旧・復興に立ち上がっていただきたいもの。
●東日本大震災の時、
東北で、可愛い盛りの孫を含む家族全部を失くした老婆が「神も仏もあるものか」と声を震わせたのを思い出します。被災した人の気持ちすべてを代弁するこの一言。日頃、仏の教えを説く私たち僧侶には答える言葉がありませんでした。熊本のため息も、私たちにとって同じ課題です。震災で家も家族も失くし心に深いキズを負った人に、仏教は何ができるのか、ただの葬式屋・おがみ屋では済まされません。
●毎年のように
大地震・風水害・火山噴火などの自然災害が起きるたびに、行政当局からの避難勧告・避難指示に従って住民が避難する先は決って学校の体育館。持病があったり、足腰が不自由な高齢者も、体調のすぐれない人も、妊産婦も乳幼児を抱えた女性も幼い子供も、硬く冷たいフロアに毛布一枚でザコ寝です。
 暖冷房もなく、トイレはすぐに汚物が詰り汚臭があたりに漂い、食べ物飲み物もなかなか届かず、やっと食べ物にありつけるかと思えばおにぎり一つをもらうのに2時間も3時間も並ばされ、プライバシーもなく、人間としての尊厳どころではない、我慢と忍耐の限界で無為に時を過ごすことを延々と強いられる、不便・不潔・不自由なストレス生活。
 基本的人権だとか主権在民だとか、この国とくに政治家はキレイごとをよく口にしますが、災害避難所の体育館で、納税者であり主権者である国民を人間以下の扱いにしておいて何が民主主義で、どこが国民主権か。
 主権者たる国民に長期間人間以下の生活を強いて平気な行政の非人間性や不作為は、明らかに憲法違反です。この国の行政は、避難住民をとりあえず安全で大勢の人を収容できる建物に集めることしか能がなく、それ以上のことは想定にないのです。
 憲法第25条は「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある。国は、すべての生活部面において、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(生存権)と言っています。避難生活は「すべての生活部面において」「健康で文化的な最低限度の生活」でしょうか。避難住民は「すべての国民」に入らないのでしょうか。ともかく、学校の体育館での長期避難生活は人権無視。人権擁護・護憲の政党・首長そして「左巻き」の新聞・テレビ、みなそれに無頓着です。

 そこで、何とか最低限の人間らしい避難生活はどうすればできるか、素人なりの一考を案じました。
 どこの都道府県にも何ヵ所かある高校野球のできる野球場。あれを、少しでも多く国と都道府県が災害特別事業の予算を組み、全天候型・暖冷房付・ドーム式に耐震性高くリフォームし、いざという時グラウンド部分には100m×100mの床と2m×2mの間仕切りスペースを2000ヵ所、1日でできるよう関係資材を備蓄しておき、残余の部分には様々な業務ごとの受付・相談や食べ物飲み物の受け渡し等のためのテントを建て、スタンド下には避難業務の本部、臨時病院または医務室、医師・看護師等の寝泊り用控室、医薬品・医療機器倉庫、飲み物・食糧庫、発電設備・機材倉庫、燃料倉庫、調理給食室、情報発信室、関係者寝泊り控室、ボランティア寝泊り控室、報道関係控室、大浴場・シャワー室、娯楽室・子供の遊び場等々、必要に応じ確保しておきます。
 費用対効果などということは度外視してでも、国民の基本的人権や主権在民にかかわる問題は実行すべきで、こうした避難施設がどこの都道府県にもあって、体調を崩さず長期避難生活に耐えられるようにしておくのが、豊かで主権在民の国の行政というものではないでしょうか。
●ゴールデンウィークも終り本格的な花と新緑の季節。以下、季節の秀句いくつか。
目に青葉 山ほととぎす 初鰹素堂
あらとふと 青葉若葉の 日の光芭蕉
松葉散り 松の緑の 伸びにけり子規
青葉の奥へ なほ小径あって 墓山頭火
時は今 雨も下しる 五月かな明智光秀
●お塔婆のオモテ・ウラ。
ご先祖様の年回供養の際、お墓にかならずお供えするお塔婆は、現在では木製の板塔婆のことを言いますが、もとは「五輪塔(ごりんとう)」のことで、亡くなった方の供養塔すなわち墓石塔です。
 上部の刻み込みは、五輪=空・風・火・水・地(昔の人が考え出した物質の元素)の区切りで、「キャ」「カ」「ラ」「ヴァ」「ア」という梵字で表します。さらに「五輪塔」の元をたどると、お釈迦様の遺骨をおさめた「仏舎利塔(ぶっしゃりとう)」に当ります。仏教は、その初めから、亡き人を偲び、亡き人の恩を心に刻み、亡き人への報恩感謝のしるしとしてお塔婆を伝えてきました。
●冗談だろうと思っていましたが、
トランプという成金不動産業者が、世界一の超大国アメリカの大統領になる勢いです。彼は言います。アメリカは莫大なお金のかかる世界の警察をやめ、財政立て直しのために軍事予算を大幅に縮小すると。もしこのトランプ氏が大統領になったら、アメリカの核の抑止力の下でぬくぬくと平和ボケに甘んじてきた戦後日本はどうなるのか。
 日本から米軍がいなくなったら喜ぶのはどこの国でしょう。あの手この手で軍事的な圧力や嫌がらせを加えてくるのは必至。否応なく国の危機管理や国防の世論が高まり、中国に実戦で対抗でき北朝鮮の脅しに屈しないよう急いで自衛隊を増強することになるでしょう。「憲法9条を守れ」や「戦争反対」「安保反対」どころではなくなるかもしれません。
●「切れる中学生」が一時社会問題になりましたが、
今度は「切れる中高年」。怒る・どなる・くってかかる・いやがらせ・因縁をつける・暴力をふるう・迷惑行為・誹謗中傷など。原因は老化にともなう脳内物質(情緒を安定させるセロトニン)の減少だそうです。
 老後は、穏やかに、心優しく、他と争わず、他のためになり、他に喜ばれる、そんな過ごし方をしたいもの。その処方箋は、朝の散歩、話し相手がいること、草花の世話、笑うこと、歌うこと、ボランティア活動。そして神社仏閣のお参り。

■秋号より■

●陛下のお気持
天皇陛下が、ご高齢による体力の衰えからか
象徴天皇としてのご公務が
きちんと全うできなくなりつつあり
生前に天皇の位を皇太子殿下に譲る
お考えを国民に示されました
ごもっともです、陛下とて人間
ガンと闘われ、心臓バイパス手術を受けられ
80才を越えれば当然のこと
皇后さまと共に静かな余生をと
祈ります
●「終活(しゅうかつ)」
などという言葉が世の中で使われるようになりました。高校生・大学生の「就活」(就職活動)ではなく、高齢者の人生の終りの準備活動という意味です。
 「墓じまい」は、その「終活」の中心的な課題。お墓を守る家族・親族がおられず、寂しく放置されたままの無縁墓が目立つようになりました。当山では、守ることができなくなったお墓は時機を選んで解体・整地し、遺骨は「無縁遺骨収納墓」(当山墓地内)に移し、「墓じまい」をしていただくことになっております。
 「墓じまい」が現実となる方は、「永代供養」のほかいろいろな最終処理法がありますので、お身体が動くうちに、費用の負担ができるうちに、一度住職にご相談ください。昨日も高齢の恩師から、「兄の家のお墓が、息子も亡くなってあとを守る人がいないんだが、弟のオレが片づけなければならないのか」と問い合わせがありました。
●リオデジャネイロでのオリンピックが終りました。
メダルが過去最高の41個となり関係者は大喜びとのこと。4年後の東京オリンピックでもっと多くのメダルが期待できるようになったからでしょう。
 日本の選手がメダル数を増やしたのに対し中国・韓国は共に前回より減らし、とくに韓国では日本選手の活躍ぶりをテレビで報道しなかったとのこと。面白くないのでしょう。「日の丸」が掲揚され「君が代」が流れるとむしゃくしゃするのだそうです。反日もそこまでいけば立派と言うほかありません。いずれ韓国とは国交断絶、北朝鮮とは国交回復という珍現象が現実になるかもしれません。
●スポーツは、武器を持たず、
ルールに従って身体で闘う疑似戦争。本質は、勝つか負けるか、やっつけるかやっつけられるか、人間の闘争心。この点、日本人は体格体力で劣る上に、おとなしくて相手をやっつける闘争心も弱いのです。
 政治外交でも、毎日のように民兵を載せた中国の艦船が尖閣諸島の周辺で領海侵犯しているのに、海上保安庁は威嚇行動すらできせん。もともと日本人は争いごとや格闘に向いてないのです。日本の選手は相手をやっつけるのでなく、自分の技量の100%の発揮を目的とします。だから、オリンピックを国威発揚の道具にし、何が何でも相手をやっつけにくる外国の選手にどうしても気おくれしてしまいます。
●この夏、高校野球栃木県代表の作新学院が、
実に54年ぶりに甲子園で優勝の栄誉に輝きました。監督曰く、「普通のチームがあれよあれよと成長し、全国制覇してしまった」。
 聞けば、実際の甲子園の試合より厳しい練習を積んできたとのこと。オリンピックでもたびたび言われた「あんなに厳しい練習をしてきたのだから、負けるはずがない」が作新学院ベンチの空気だったとか。いずれにしてもこの快挙、リオオリンピックにかくれてあまり大きく報道されませんでしたが、栃木県民にとっては痛快な夏の清涼剤でした。