蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

世事法談

 この「世事法談」は、当山の寺だより「まんだら通信」の「世事法談」の欄に書き続けてきたものです。毎年、新年・5月・9月(お参り月)に折にふれた話題に住職が保守の立場からコメントしたものです。

平成26年(2014)

■新年号より■

●謹賀新年 陽はまた昇る
平成の世も4半世紀を過ぎ、平成26年、飛躍の午年
経済指標や給与や新卒の就職に明るい兆しが見え始め
東京オリンピックも決まり、「陽はまた昇る」の国に
長い経済の低迷に耐え、冷え込む家計に耐え
中国・韓国のいやがらせに耐え
中越地震・東日本大震災に耐え
原発事故・自然災害に耐え
苦難に瀕してくじけず、陽はまた昇る
●久しぶり 右肩上がりの わが日本(弘隆坊)
 新年明けましておめでとうございます。
 平成26年、西暦2014年、午年が明けました。
 今年の恵方(えほう、歳神様がいる方角)は東です。
●年男・年女(午年生れ)
長所 機敏で才知にすぐれ、器用で、業務に熱心、事業・商いに成功する人多い。
短所 根気なくむら気なところあり、情にもろい、口先はうまいが真意が少ない。
運気 はじめ対人関係に苦労あるが、中年以降は安楽。近親者に力ある者少なく、他郷で暮す人多い。
守り本尊 勢至菩薩(せいしぼさつ)
ご真言 オン サンザンサク ソワカ
●初春の句五句
めでたさも 中くらいなり おらが春一茶
めでたさも 一茶くらいや 雑煮餅子規
酒もすき 餅もすきなり 今朝の春虚子
ニッポンが ここに集まる 初詣誓子
初富士の かなしきまでに 遠きかな青邨
●新春恒例の箱根駅伝。
東京大手町~箱根芦ノ湖の往復217・9㎞、10区間を参加校から選ばれた10人がタスキを繋ぎ、昔の東海道を駆け抜ける大学駅伝の花。今年は90回大会でした。
 テレビの中継を見ながら思いました。家の世代交代も駅伝に似ていて各世代が苦労をして次の世代にタスキを渡す、親から子へ、子から孫へ、無事にそれができて家門繁栄。どこかでタスキが止まるとご先祖様のお墓は永代供養。
●NHKテレビ日曜夜8時からの大河ドラマ。
今年は「軍師官兵衛」。官兵衛とは、豊臣秀吉天下取りの軍師(軍略参謀)だった黒田官兵衛(くろだかんべえ)のこと。才能豊かなためやがて天下を狙うと秀吉に疑われ、それを察知して44才の若さで隠居し、出家して如水(じょすい)。福岡藩初代藩主。有名な黒田長政は長男です。
 来年は「花燃ゆ」。主人公は幕末の倒幕運動家吉田松陰(よしだしょういん)の妹・文(ふみ)。舞台は、幕末から明治へと時代が動く長州(山口県)。去年の「八重の桜」が同時代の会津(福島県)。その前の「龍馬伝」が土佐(高知県)。その前の「篤姫」が薩摩(鹿児島県)。幕末から明治にかけての「維新」に何を学ぶか、でしょう。
 そのNHKの思惑とは真逆に、最近歴史家の間で明治維新疑問論が出てきました。曰く、歴史というのは、勝者や権力者の側から語られがちで敗者や国民・民衆の側からほとんど語られない。明治維新も見方によっては、吉田松陰ほか長州の英傑も西郷・大久保も、坂本竜馬も、徳川の方からすれば今で言う暴力革命家かテロリストで、偶々「錦の御旗」のニセモノを掲げて官軍と賊軍の立場が逆転したに過ぎず、鳥羽伏見の戦いや戊辰戦争がなくても徳川幕府は諸外国に門戸を開き、近代国家へと日本は進んだ。時代はすでにそういう時代だった。
 その裏付けとして、江戸城(幕府)には薩長土肥など比べものにならないくらいの西欧の社会制度や学問や文化や語学に通じた優秀な若手官僚が育っていて、薩長土肥の下級武士上りの教養も学問もない人たちより徳川縁故の人材の方がはるかに多く、またレベルが高かった、と。私たちが中学・高校で習った日本史って、何だったのでしょう。
●昨年秋、式年遷宮のお伊勢さんにお参りしてきました。
お寺の住職が神様にお参りをして二礼二拍手? そうです、日本は神様と仏様が共存している国、坊さんが伊勢神宮にお参りをして何の不都合もありません。神と仏を無理やり切り離したのは明治政府(薩長土肥の下級武士出身者たち)の大失策でした。
 内宮の天照大御神(あまてらすおおみかみ)には国家安穏と家内安全を、外宮の豊受大御神(とようけのおおみかみ)には日本の経済産業の右肩上がりと人々の家門繁栄を、心こめてお祈りしてきました。
●そのお伊勢さんで見た信じられない光景。
天照大御神のかしこきご神前で帽子も取らない中高年。撮影禁止のご神前でシャッターを切る中高年。(神様が通るので人は避けなければならない)参道のまん中を歩く中高年。大鳥居の出入りで一礼をしない中高年。そのほかご神前や街中でマナーのネジがはずれた中高年。
 全国各地から1400万人の人出だったそうで、お参りした11月は関係者はお疲れなのか、お参り客に接する神社の御札御守授与所の巫女さんたちは無表情。内宮近くの「おはらい町」「おかげ横丁」の店の店員もタクシーの運転手も総じてそっけない対応。三重県民の県民性なのか、伊勢市民の市民性なのか、ふと岡田克也元民主党代表(三重県選出)の笑顔のない鉄面皮顔が頭をよぎりました。ひるがえって「蔵の街とちぎ」はどうか、いい勉強になりました。
●昨年末、1割の白人が8割の黒人を支配し徹底差別する
「アパルトヘイト(人種差別)」の国南アフリカを、人種差別のない「虹の国(ちがう肌の色が共存する国)」に導いたネルソン・マンデラ元大統領が亡くなりました。若くして人種差別反対運動に身を投じ、国家反逆罪で投獄されて二十七年。苦難の末に大統領にまでなり人種差別に苦しむ黒人を解放しました。南アフリカの黒人隔離政策はひどいものでした。ホテル・レストラン・列車・バス・公園・映画館・公衆トイレなどが区別され、結婚・恋愛・就職・賃金・教育・医療・宗教すべてで黒人は差別され、人間とみなされないことも多々ありました。
 世界で初めて心臓の移植手術に成功した南アフリカの心臓外科医クリスチャン・バーナードは、交通事故で脳死状態になった黒人女性の心臓を白人男性に移植したあとに、「この移植手術には、人にいちばん近いモノ(黒人)を使った」とうそぶきました。
●昨年末、終盤国会でもめた「特定秘密保護法」。
政府の言い分は「防衛・外交・スパイ・テロ」の4分野で軍事機密などの「特に秘匿を必要とする事柄」を「特定秘密」とし、これを取扱う者(政治家・官僚など)が他国の情報機関やネット上にこれを漏らした場合の罰則を強化する法律。「特定秘密」は42万件で、その内80%程度が(偵察)衛星からの画像や暗号だと安倍総理は国会答弁しました。
 これに激しく反対をした野党議員・学者・言論人・文化人の言い分は、「特定秘密」を主に取扱う政治家や官僚がいいようにこれを扱い、国民が知りたい、あるいは知るべき重要事項まで秘密にし、「国民の知る権利」を妨害することになる、また、「特定秘密」への取材や報道の自由が侵害されたり、そのことで政府を批判すると戦前の治安維持法のように言論弾圧が待っている、といったことでした。
 しかしこの法律は、「特定秘密」を取扱う政治家や官僚を対象にしたものであり、一般の国民や報道機関は対象外だということです。安倍総理も記者会見でハッキリそれを明言しました。反対する人たちが危惧するようなこの法律の乱用がもし起きたら、賛成した国民も黙ってはいないでしょう。
●「心のお薬」処方箋
  1. 新年は、菩提寺の大護摩供祈願法会に参列し「家内安全」等を祈願しましょう。
  2. お正月、お彼岸、お盆には、かならずご先祖のお墓参りをしましょう。
  3. 毎月1日は祖霊参拝の日。心がけてご先祖のお墓参りをしましょう。
  4. ご先祖の祥月命日には、心がけてお墓参りをしましょう(できれば月命日にも)。
  5. 毎朝、お仏壇に3本お線香をあげ、きょう一日の無事を祈りましょう(1本はご本尊様、1本はご先祖様、1本は自分を含めた家族に)。
  6. お仏壇はいつもきれいに、お花も気をつけて取り替えましょう。
  7. ご先祖の年回忌には、少人数でもかならずご法事を営みましょう。
  8. 悩み・災い・困りごと・つらいこと・悪運・病魔などがある時は、当山の「大師堂」にお参りし、堂内のお大師様、三鬼尊、お聖天様に「苦」を預けましょう。
  9. 神仏の前では脱帽・合掌・一礼。目に見えない霊威に気をつけ、粗末にしないようにしましょう。
  10. 病は気から、悩みは心から。具合が悪い時、気持ちが晴れない時、「南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)」を何回も気が済むまでお唱えし、心を落ち着かせ悩みや不安やモヤモヤを小さくしましょう。

 決して楽ではないこの世(苦の娑婆)を少しでも楽に生きるには、「心のお薬」を常に服用し、心の汚れを洗い、いつも心が安らかに、他にやさしく、他から好かれ、尊ばれるよう、努めることが肝心。

 モノ・カネに執着し、神仏・ご先祖に無関心、他は大事にしない生き方は、「苦」の元。世のなかにはモノ・カネの満足こそが幸せだと錯覚している人がいますが、そういう人が死後に落ちゆく先は「地獄」「餓鬼道」。地獄の責め苦に苦しむか、餓鬼の姿になって飢えるか。いいことありません。

■春号より■

●万能細胞の乱
昔、西洋医学がまだ日本にない頃
漢方の医学・医薬を使い病人を救おうとしたのは僧侶とお寺でした
奈良時代の悲田院・施薬院、後世の医王寺・薬王寺・薬王院
皆、仏の大慈悲による民衆救済・慈善事業でした
西洋の医学(科学)が到来して
僧侶の役割は医学者・医師の手に、お寺の役割は研究機関・病院の手に
そして今、ES細胞、IPS細胞、小保方さんの問題のSTAP細胞
これら万能細胞、人間の寿命を延ばし
200年も生きる人が現れるかもしれませんが
それでは、働かない人が多すぎて国の医療財政は破綻
古今東西、昔から変わらない人間の願望は不老長寿ですが
ただ生きているだけの100才、200才は、めでたいでしょうか
●山中伸弥先生のIPS細胞より
もっと簡単に短期間で作れるといわれるSTAP細胞の作成に世界ではじめて成功したという小保方晴子さんが、天国から地獄へ突き落されたような目にあっています。「不正」だとか「ねつ造」とか「悪意」といった悪評にさらされ、ご本人はさぞ不本意で悔しいでしょう。難病に苦しむ患者さんを救いたいと、まじめ一途にやってきた研究があだになり気の毒です。科学オタクによくありがちな、世間一般の常識に欠けるところがもしあるなら、指導教官や先輩研究員が教えてやるべきでした。若くて有能な研究者がこういうことで将来をなくすことはもったいないことです。
●おそくなりましたが、
東日本大震災被災地のなかから宮城県石巻市を選び、この4月慰霊に行ってきました。目的地は2ヶ所。
 1ヵ所は、多くの児童が河川津波の犠牲になった旧北上川堤防下の大川小学校跡。
 もう1ヵ所は園児をのせた幼稚園バスが海からの津波に飲み込まれた場所。
 大川小学校跡には残骸と化した校舎をバックに慰霊のお地蔵様が建てられ、たくさんのお供え物が供えられていました。そこに持参したお花を供え合掌読経しました。すぐ近くには旧北上川の堤防があり、河口近くになった川は大変な広さの川幅と雪どけ水で恐いくらいの水量でした。その旧北上川にかかる近くの鉄橋の方に児童は避難させられ犠牲になりました。校舎の右奥には斜面は急ながら登って登れない山があり、そっちにどうして逃げなかったのかと思いました。ただただ犠牲になった子供たちが可哀想で、目がしらが熱くなりました。
 幼稚園バスごと園児が犠牲になった場所は石巻市門脇町地内。近くの高台にある日和幼稚園の送迎バスが、地震後園児5人と先生2人を乗せて走行中、正面の海から南浜町を総ナメにして押し寄せてきた津波に飲み込まれました。高台にある幼稚園に留まっていればと悔やまれてなりません。事故現場に立ち、たくさん供えられたお花やお供え物に持参したお花を加えさせていただき、しばし合掌黙祷しました。誰のいのちも尊いのですが、無邪気な子供たちの笑顔と若い先生の将来を思うと涙なしにはいられませんでした。
●春・初夏の句五句。
目に青葉 山ほととぎす 初鰹素堂
五月雨を 集めてはやし 最上川芭蕉
春の海 ひねもすのたり のたりかな蕪村
若アユの 二手になりて のぼりけり子規
五月晴れ 花も青葉も うれしげに弘隆坊
●消費税が8%になりました。
消費の落ち込みも心配されたほどでなく鉄鋼・造船・重機・自動車・住宅などの業種で過去最高益を出す企業が続出。首都圏・埼玉等のマンションは売れ行きが上々。大阪のデパートでは高級品特売でバカ売れ。しかしバブルはいけません。現実は、庶民のふところが温まるまでまだまだです。
●所詮、韓国という国は三流国家です。
セウル号の沈没事故で露呈した当事者の無責任・不手際の数々にごうをにやし、韓国のマスコミが「この国は三流国家だったのか」と嘆きましたが、私たち日本人に言わせればもともとあんな程度の国で、今頃気がついたのか、と言いたくなります。従軍慰安婦の問題をわざわざ大きくして歴史問題を誇張・歪曲し、李承晩大統領の時代には勝手に日本海に線を引き(李承晩ライン)、日本領の竹島をかすめ取り、大統領ば、アメリカや中国に出かけては日本の悪口を言って歩く「告げ口外交」。自分勝手で、国際信義も何もありません。
●自分勝手は韓国の国民性。
そのいい例が、沈没船の船長や乗組員。客を避難誘導するどころか一番先に逃げ出し、海洋警察は海に浮かぶ高校生を目の前にして救助せず、現場で指揮した海洋警察局長は客船の海運会社と癒着し、過積載の常態化に目をつぶっていました。怒り狂う遺家族は感情むき出しで暴徒化し、高校の校長に水をかけたり、現場に来た大統領に詰め寄って言いたい放題の乱暴狼藉。自分勝手、極まれりです。
 ひるがえって、東日本大震災の時の、東北の人たちの忍耐と落ち着きは立派でした。日本人は危急の時でも、礼節をわきまえ、秩序正しく、自分勝手は慎しみます。これを上品(品位・品格がある)といい、韓国のようなのを下品(品位・品格がない)と言います。
●中国は尖閣諸島ばかりでなく
本気で沖縄本島・南西諸島を日本から奪い取る気です。そう簡単なことではありませんが、目をこらすと、沖縄のあちこちで中国の不動産業者が土地を買いあさっています。一番問題なのは、沖縄の米軍基地近くの土地が買われること。北海道でも、千歳空港の近くなどあちこちで同じことが起きています。南シナ海では、南沙諸島をめぐってベトナムが中国と衝突しました。有事はある日突然現実になります。
●この春岩舟町が栃木市と合併し、栃木市岩舟町となりました。
岩舟町といえば、三毳山・花センターに日本仏教の高僧慈覚大師円仁(第三代天台座主)。
慈覚大師がお生まれになったのが、旧国道50号線・岩舟町「下津原」の交差点近く、三毳山のふもと、地図に誕生寺とあるところ。周辺を手洗窪(盥窪、たらいくぼ、大師が産湯に使ったタライと井戸のあった窪地という意味)といいます。
 大師は、15才の時に比叡山に上り、天台宗の開祖最澄上人(伝教大師)に師事して『法華経』(円)・坐禅(禅)・戒律(戒)・密教(密)を学び、承和5年(838)最後の遣唐使船で唐に渡り、折から「会昌の廃仏」で仏教弾圧が激しく行われるなか、危険な目に遭いつつ長安の都で受法の努力を重ね、承和14年(847)帰国し『入唐求法巡礼記』(にっとうぐほうじゅんれいき)を著わしました。のちに第3代の比叡山延暦寺座主になっています。

 大師誕生地に壬生町(壬生寺)説がありますが、これは俗説。確かな史料・古文書・有力な史跡のない後世(江戸時代)の言い伝えです。大師の生家が壬生氏(平安初期まで都賀郡を治めた豪族)であることから「壬生」を根拠にしちますが、大師誕生の頃の壬生町は「上ノ原」(かみのはら、かんのはら)という地名で、壬生の地名になったのはずっと後の室町時代寛正3年(1462、応仁の乱の頃)です。
 大師誕生地についてはすでに学術的に解明されており(「慈覚大師誕生地考」田嶋隆純博士(元大正大学教授、私の叔父)、豊山学報)、壬生説からは何の反論も出ていないため、かつて岩舟町で講演をした私の恩師福井康順博士(元早稲田大学名誉教授、元大正大学学長、元妙法院門跡)は岩舟説に軍配を挙げました。先生は「壬生寺の住職も同じ天台宗でよく知っており、私情では言い難いのだが、壬生説には学術的な根拠がないので私は田嶋先生の論考を是とする」と言っておられました。
 岩舟町の誕生地には、『入唐求法巡礼記』の英訳で知られるアメリカのライシャワー元駐日大使が岩舟町に来て大師を偲んだ記念の碑が建っています。