蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

八月十五日

令和6年08月15日
 酷暑の八月、十三日から十六日はお盆でした。東北地方は台風の豪雨に見舞われ、西日本では日向灘地震の影響で南海トラフ地震への警戒が発表され、帰省・ご先祖のお墓参りもいつもの日本の夏の風景のようにはいかなかったようです。
 日本の夏は古来、このお盆を中心にご先祖とともにあります。全国各地で花火大会が盛大に開催されますが、花火はそもそも、花火大会も門先での線香花火もご先祖をお迎えする「迎え火」です。徳島市の阿波踊りなどの盆踊りは、ご先祖をお迎えした喜びと一家団欒のお祭り。今では商店街の風物になった「たなばた」飾りも、もとはご先祖のお位牌などをかざった「盆棚(ぼんだな)」の四角と後ろ中央に立てる「棚幡(たなばた)」(五如来を表す切り紙の幡(はた))のことです。京都五山の「送り火」や嵐山ほか全国各地の「灯籠流し」、長崎市の「精霊船」は、みなあの世に帰るご先祖の見送り行事です。お寺ではお盆中、檀家さんにお邪魔し、一家一家お盆供養のお経をあげて廻ります(「棚経(たなぎょう)」)。猛暑のなかの苦行です。
 六日にヒロシマ平和記念式典、九日にナガサキ平和祈念式典、そして十五日に日本武道館での全国戦没者追悼式が、型どおりに行われました。
 日本武道館における天皇陛下のお言葉の「戦陣に散り、戦禍に倒れた人々」という決り文句をもう何回聞いたでしょう。広島・長崎両市長の核のない世界を訴える平和のメッセージも、広島・長崎・武道館での岸田総理の挨拶・式辞も、この頃はみんな型どおりで、私には空疎に聞こえました。
 核兵器の廃絶と核のない世界平和を祈る式典は世界で日本だけですが、回を重ねるとこうした重要な式典も形骸化し、得てして空疎なものになりがちで、今年はとくに情緒的観念的でお題目のような平和の祈り・非現実的な反核論の空疎を感じました。そうした空疎の場に、この酷暑のなか、遠い昔の悲しみも新たに、老躯を厭わず、生まじめに、式典に出席する高齢参列者の心中やいかに。来年でもう敗戦八十年、核のない世界平和はどんどん遠くなるばかりです。
 十五日の夜、台湾出張から帰ったその足でBSフジの「プライムニュース」に出演した自民党の石破茂元幹事長が、台湾有事の際の日本の対応、すなわち日本の平和の生々しく困難な現実を語りました。一言で言えば、日本有事の際の備えが、法律上も自衛隊の現状(予算・装備・人員)も整っていないこと。とくに兵器による攻撃以前のサイバー攻撃の防御。すなわち日本の総理官邸・防衛省・自衛隊駐屯地・霞が関や通信網・発電・鉄道・高速道路網の主要施設の機能マヒへの対応能力ですが、おはずかしい日本の現状を台湾首脳部に伝えながらも、現実的に相当突っ込んだ防衛戦略や抑止議論を行ったとのこと。共同団長の石破さんと元民主党代表で現在は教科書無償化を実現する会代表の前原誠司元外務大臣のほか、自民党の中谷元元防衛大臣・同じく長島昭久元防衛副大臣・立憲民主党の渡辺周元防衛副大臣・無所属の北神圭朗元野田総理補佐官が超党派で参加しました。中国の台湾侵攻抑止、日本有事に国民の生命・財産を守るために現状何ができるか、東アジアに戦争を起こさないこと、戦争抑止のための平和外交です。これに対して中国は早速、大使館を通じて石破さんに抗議したようですが、これが日本の平和というものの生々しいウラ舞台で、戦争犠牲者の追悼式典で空疎に平和を訴えても、声を上げることが大切だと言っても、中国が聞く耳を持つわけがなく、結局は虚しい自己満足に終ります。つまり、ほんとうに日本の平和を現実のものにしているのは、そんなお題目のようなものではなく、直接したたかな中国と向き合う最前線で命がけで汗を流している抑止外交と、お恥ずかしい現状ではあるもののそのバックグラウンドである自衛力、それを補う日米安保条約です。これに異論を口にする人たちは多くいますが、これが戦後七十九年日本が平和でいられた現実要因です。もちろん、「二度と戦争はしたくない、してはならない」という国民の総意があってのことですが・・・。
 同じ十五日の昼さがり、現職の閣僚三人ほか相当数の国会議員が靖国神社に参拝しました。左系のメディアは、これも型どおりスキャンダラスにニュースにしていますが、私にはいい加減空疎感が漂っています。
 私は以下の観点から、総理大臣でも誰でも、八月十五日は、靖国神社に祀られ神となっているA級戦犯も含め、戦没者のあらゆる御霊に合掌をすべきだと考えています。つまり日本の伝統宗教では、生前中どんな罪を犯した人でも、死後汚れを清められて神となり(神道)、授戒引導されて仏となる(仏教)ものだからです。東条英機をはじめ死刑の判決を受けた人はみな、自分の犯した大罪を認めいさぎよく絞首台に進んでいます。巣鴨拘置所で宗教教誨を受け、従容として死に臨んでいます。その御霊が靖国神社で護国の神となっています。日本人は、罪を犯した死者に対して、死んだあとまで罪人扱いしません。
 靖国と言うとすぐA級戦犯の問題がむし返されますが、A級戦犯とは何か、改めて言っておきますと、占領軍(GHQ)主導の東京裁判で「平和に対する罪」で起訴され、死刑(=絞首刑)・終身刑・有期禁固刑の判決を受けた二十五人と、判決前病死・訴追免除三人の計二十八人、および起訴されず裁判を免れた人を含めて約二〇〇名です。
 彼らは昭和二十八年、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」により赦免されました。この赦免によって戦争犯罪人ではなく、「戦死者」(公務死)または「被拘禁者」となり、「戦死者」の遺族には「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が適用されました。
 こうした旧軍人の復権の流れのなかで、昭和五十三年(福田内閣)、松平永芳宮司によって亡くなったA級戦犯の御霊が合祀されました。英霊を御神体とする靖国神社の神事です。翌年にはマスコミの知るところとなりましたが、中国・韓国ほか国際社会はこの時何も言いませんでした。世界の平和も、日本の平和も、靖国も、現実直視に勝るものはありません。