卒業式から式典曲「仰げば尊し」をはずす無節操
令和6年04月01日
三月は、お寺では春の彼岸月。社会一般では確定申告・納税を行う年度末の月であり、卒業・退職という別れの月。そして四月は、新入学・新入社・転勤・転職など新しい出会いの月。去年は三月十四日に東京・靖国神社で桜の開花宣言があり、当山の桜もお彼岸中に見頃になり、散り桜・葉桜の入学式でした。異常気象もここまできたかと思いましたが、今年は平年並みの桜の開花となりました。
毎年卒業式の時期になると、私は決って口ずさむ歌があります。「思い出のアルバム」。かつて私立幼稚園の教育現場に立ち、何度も何度も巣立っていく卒園児とともに目がしらを熱くしながら歌った卒園式の歌です。
いつのことだか おもいだしてごらん
あんなことこんなこと あったでしょう
うれしかったこと おもしろかったこと
いつになっても わすれない(一番)
いちねんじゅうを おもいだしてごらん
あんなことこんなこと あったでしょう
もものおはなも きれいにさいて
もうすぐみんなは いちねんせい(七番)
あんなことこんなこと あったでしょう
うれしかったこと おもしろかったこと
いつになっても わすれない(一番)
いちねんじゅうを おもいだしてごらん
あんなことこんなこと あったでしょう
もものおはなも きれいにさいて
もうすぐみんなは いちねんせい(七番)
仰げば尊し 我が師の恩
教えの庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月
今こそ別れめ いざさらば
教えの庭にも はや幾年
思えばいと疾し この年月
今こそ別れめ いざさらば
で、卒業生から先生方への謝恩の言葉。
二番が
二番が
互いに睦みし 日ごろの恩
別るる後にも やよ忘るな
身を立て 名を上げ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば
別るる後にも やよ忘るな
身を立て 名を上げ やよ励めよ
今こそ別れめ いざさらば
で、先生方から卒業生へ贈る言葉。
三番が
三番が
朝夕馴れにし 学びの窓
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば
蛍の灯火(ともしび) 積む白雪
忘るる間ぞなき ゆく年月
今こそ別れめ いざさらば
で、お互いの惜別の情。明治期の文語調ですが格調高い日本語で綴られた歌詞です。
私はとくに、二番の「身を立て 名をあげ やよ励めよ」のところで、先生方の教え子たちへの期待と励ましが胸に迫りつい目がしらが熱くなるのですが、この部分が今は「立身出世の強制」なのだそうです。私は涙がにじみこそすれ「立身出世の強制」と感じたことはこれまで一度もありません。中学生の時、先生方に反抗的態度をとっては何度も職員室・校長室に呼ばれた私でさえ、先生方の師弟愛というものが伝わってきました。卒業式にあたって先生方が教え子の成長を祈り、将来「身を立て名をあげ」て立派になった教え子と再会したいと願うのは当然であり、この師弟愛のどこが「立身出世の強制」なのでしょう。
敢えて言うなら、戦後民主主義をはきちがえ、学識・良識・博愛の学び舎であるべき教育現場にどこかで聞いたような安っぽい民主化を持ち込み、「仰げば尊し」を権力による「立身出世の強制」と歪曲し、ハレの卒業式から「仰げば尊し」という伝統ある式典曲をはずす、そうした偏った民主主義がまかり通ることは、教育現場を長く経験し、かつ日本の古き良き伝統を保守する立場の私には到底受け容れられません。「令和」という元号が公表された時に、「良い」「立派な」といった意味のほか「令嬢」「令夫人」など敬語としても使われる「令」を、「『令』は『命令』の『令』で、安倍政権の目指す国民への規律や統制の強化がにじみ出ている…」「元号は帝王の時間支配が目的…、本来的には非民主的」という公式コメントを出し、「令和」の典拠となった『万葉集』巻五、大伴旅人の「于時初春令月氣淑風和(時は春の初めの好い月に空気は気持ちよく風もおだやか)」を無視し、「令」の意味を歪曲して国語や古典文学の無教養をさらしたどこかの党に似ています。
私はとくに、二番の「身を立て 名をあげ やよ励めよ」のところで、先生方の教え子たちへの期待と励ましが胸に迫りつい目がしらが熱くなるのですが、この部分が今は「立身出世の強制」なのだそうです。私は涙がにじみこそすれ「立身出世の強制」と感じたことはこれまで一度もありません。中学生の時、先生方に反抗的態度をとっては何度も職員室・校長室に呼ばれた私でさえ、先生方の師弟愛というものが伝わってきました。卒業式にあたって先生方が教え子の成長を祈り、将来「身を立て名をあげ」て立派になった教え子と再会したいと願うのは当然であり、この師弟愛のどこが「立身出世の強制」なのでしょう。
敢えて言うなら、戦後民主主義をはきちがえ、学識・良識・博愛の学び舎であるべき教育現場にどこかで聞いたような安っぽい民主化を持ち込み、「仰げば尊し」を権力による「立身出世の強制」と歪曲し、ハレの卒業式から「仰げば尊し」という伝統ある式典曲をはずす、そうした偏った民主主義がまかり通ることは、教育現場を長く経験し、かつ日本の古き良き伝統を保守する立場の私には到底受け容れられません。「令和」という元号が公表された時に、「良い」「立派な」といった意味のほか「令嬢」「令夫人」など敬語としても使われる「令」を、「『令』は『命令』の『令』で、安倍政権の目指す国民への規律や統制の強化がにじみ出ている…」「元号は帝王の時間支配が目的…、本来的には非民主的」という公式コメントを出し、「令和」の典拠となった『万葉集』巻五、大伴旅人の「于時初春令月氣淑風和(時は春の初めの好い月に空気は気持ちよく風もおだやか)」を無視し、「令」の意味を歪曲して国語や古典文学の無教養をさらしたどこかの党に似ています。
加えて、この「仰げば尊し」の問題で私がつくづくあきれることは、「仰げば尊し」を歌うことそれ自体が「先生方への謝恩の強要」だと言って卒業式の式典曲からはずし、その一方で謝恩会・記念事業・記念品など謝恩じみたことを行う自己矛盾。さらに、謝恩会の場で歌うべき「旅立ちの日に」や「さくら」「贈る言葉」「夢待列車」などの「はやり歌」を、式典曲「仰げば尊し」に替ってハレの卒業式に持ち込む「ハレとケ」の無知。すなわち、民俗学や文化人類学で言う「ハレ(晴、非日常、一生に何度かの晴の日・晴の式典、晴れ着・礼服)」と「ケ(褻、普段・日常、普段着)」のちがいもわかっていない無教養。卒業式という式典が、文化人類学で言う「通過儀礼」であることもおそらく知らないのでしょう、非日常の「通過儀礼」を「児童・生徒本位」という民主化の名のもとに日常化する無節操が、学校教育の現場で横行していることは日本の精神文化や教育的な観点から言って何とも情けない事態です。「何でも民主化」「児童・生徒本位」という「いかにも民主主義」の「公私混同」ではなく、民俗学・文化人類学や日本の精神文化の視点やそれらを卒業式を通して児童・生徒に感受させる教育的配慮を総合して考えるのが、学校教育関係者(教育委員会・職員室・PTA役員)の役割というものです。
さらに加えれば、「仰げば尊し」は古いだとか、卒業式が形式ばっているといった日常感覚からのクレームがあるとも聞きます。これも「ハレとケ」「通過儀礼」を心得ない愚論です。長く伝えられた伝統の形式(カタ)に則って行われるのが「ハレ」の儀礼であり、七五三もそう、結婚式もそう、葬儀・仏事もそう、入学式・卒業式・入社式もそう、一生に何度かのハレの儀式・式典はみんなそうです。卒業式はハレの式典ですから、校長先生以下教職員は礼服を着用し、女性の先生のなかには和装で袴をはく人もいます。なのに「仰げば尊し」は古いとか形式ばっているなどと言うのは甚だしい自己矛盾です。ハレの儀礼は、時代が替っても伝統の式典形式に則るのが常識で、イギリスほかヨーロッパの国々のように、古き良き伝統を守り伝統を継続することがその国の国民のエスプリ(機知)というものです。
さらに加えれば、「仰げば尊し」は古いだとか、卒業式が形式ばっているといった日常感覚からのクレームがあるとも聞きます。これも「ハレとケ」「通過儀礼」を心得ない愚論です。長く伝えられた伝統の形式(カタ)に則って行われるのが「ハレ」の儀礼であり、七五三もそう、結婚式もそう、葬儀・仏事もそう、入学式・卒業式・入社式もそう、一生に何度かのハレの儀式・式典はみんなそうです。卒業式はハレの式典ですから、校長先生以下教職員は礼服を着用し、女性の先生のなかには和装で袴をはく人もいます。なのに「仰げば尊し」は古いとか形式ばっているなどと言うのは甚だしい自己矛盾です。ハレの儀礼は、時代が替っても伝統の式典形式に則るのが常識で、イギリスほかヨーロッパの国々のように、古き良き伝統を守り伝統を継続することがその国の国民のエスプリ(機知)というものです。
「ハレとケ」、言い換えると「非日常と日常」ですが、卒業式(非日常)から「仰げば尊し」をはずし、「旅立ちの日に」や「さくら」「贈る言葉」「夢待列車」など「はやり歌」(日常)を持ち込む無節操と似た事例がほかにもあります。東日本大震災復興支援ソングの「花は咲く」です。
この歌は、大震災で家も家族も家財道具・思い入れのある品々も親戚も現金もご近所も友人など何もかも失くし、まだまだ深い絶望・悲嘆・喪失感の非日常のなかにある東北の被災者に、「真っ白な雪道」だとか「春風香る」だとか「なつかしいあの街」だとか「叶えたい夢があった」だとか「変わりたい自分がいた」だとか「なつかしいあの人」だとか「夜空の向うの朝の気配」だとか「なつかしいあの日々」だとか「傷つけた愛おしいあの人」だとか、ありふれた大震災以前の日常の情景を思い出させますが、この日常の情景のいったいどこに東北があり、どこに復興支援があるのでしょう。さらに、「誰かの歌」が聞こえて「誰かの笑顔」が見え「誰かの想い」が見えて「誰かと結ばれ」「誰かの未来」が見えて、その最後に「私は何を残しただろう」と自虐して、いったいどこの誰のための復興支援なのでしょう。そして四季がめぐり、花が咲き、生命の継続のなかでいつか君が生まれ、その君が恋をするのだそうです。君が生まれて恋をして、どこに東北の犠牲者への鎮魂や被災者への寄り添いがあり、どこに復興支援があるのでしょう。ありふれた日常の情景を他人事のように技巧的に並べ挙げ、被災者の非日常に日常的な感傷を持ち込んで、どこに東北の復興があるのでしょう。無節操な歌です。
私は、石巻市大川小学校のガレキ同様の校舎の前で慰霊の読経はできても、「花は咲く」を歌う気にはとてもなりませんでした。同じ石巻市の幼稚園の送迎バスが津波に飲まれて園児五人が亡くなった現場で香華を手向け合掌はできても、「花は咲く」を歌う気になどなりませんでした。幼い学童や園児の生命の犠牲の前で「いつか生まれる君」「恋する君」などというフレーズは幼い御霊に対して不謹慎だと思いました。
時がめぐり春がくれば、花は咲くでしょう。三春の滝桜も角館のしだれ桜も弘前城のソメイヨシノも満開になるでしょう。しかし、花は咲いても被災者の重い心に本当の意味の復興の花が咲くことがありません。心の傷はお墓までもっていく非日常です。
この歌には、昔から厳しい気候風土に耐えて生きてきた東北の人が、また大自然から物心両面の過酷な試練を課せられた深刻さからの復興がありません。亡くなった方や行方不明者への深い鎮魂もありません。さらに言えば、アテルイ(阿弖流為)ひきいる陸奥の民(蝦夷)がヤマト王権の坂上田村麻呂に征服され、奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ、伊達政宗が戦国時代の覇者豊臣秀吉に服従させられ、会津藩・奥州列藩は戊辰戦争で薩長軍に敗れ、会津藩は下北半島の不毛の地斗南地方ほかに追いやられるなど、東北は常に中央の政権に征服され従属してきた歴史があり、近代になっても、農家の家主はほぼ一年家を空けて首都圏での出稼ぎで現金収入を求め、留守を預かるじいちゃん・ばあちゃん・かあちゃんはヤマセ(冷たく湿った夏頃の季節風)と冷害に悩みながら「三ちゃん農業」でお米を作り、中学を卒業した男子は集団就職で「あゝ上野駅」へ、女子は、貧しければ、「おしん」のように働きに出され、養女に出され、口減らしのために川に流された赤子もいました。近代化の時代も、大きな目で見れば、東京や首都圏の大企業が安い労働力を見込んで生産拠点を進出させ、地元企業はその下請けで、とどのつまり産業・経済も中央への服属。東北新幹線は、言うなら、その象徴で、東京と直結していればこその存在意義です。
東北の復興に当っては、民俗学者で「東北学」の提唱者赤坂憲雄さん(東日本大震災復興構想会議委員)が、東北文化論の観点から復興構想を語り、福島県三春町臨済宗福聚寺の住職で芥川賞作家の玄侑宗久師(東日本大震災復興構想会議委員)も同じく東北のアイデンティティーをもとに、いくつもの提言をしました。私も松岡正剛さん(編集工学研究所長)との対談「東北だからこそ、グローバリズムによらない復興を」で、国の予算措置を武器にした政府主導(中央支配)のありきたりの復興ではなく、東北の中央服属の歴史を振り返り、東北伝統の民俗文化に根ざし、行政・産業・経済が自助・自立し、大都市も農漁村も人々が生きることに潤いがある、東北らしい東北の実現を論じました。
その観点からも、「花は咲く」は東北らしくもなく、他人事のような歌で、まるで遠く離れた東京のNHKホールなどで、東北復興支援という美名に乗った都会人が、自己満足で歌う歌です。仮に東北の人たちが復興に向けて歌うとすれば「故郷(ふるさと)」で充分です。私がこの「花は咲く」に強い嫌悪感を覚え、大震災による非日常のなかから神戸の子供たちが歌う「しあわせ運べるように」に心を打たれるのは、この歌が第三者がわざとらしく歌う偽善の歌ではなく、被災者自身の心の奥から自然に出た、そして被災現場(非日常)から同じ被災者に向けて発せられた、ふるさと復興の呼びかけだからです。
この歌は、大震災で家も家族も家財道具・思い入れのある品々も親戚も現金もご近所も友人など何もかも失くし、まだまだ深い絶望・悲嘆・喪失感の非日常のなかにある東北の被災者に、「真っ白な雪道」だとか「春風香る」だとか「なつかしいあの街」だとか「叶えたい夢があった」だとか「変わりたい自分がいた」だとか「なつかしいあの人」だとか「夜空の向うの朝の気配」だとか「なつかしいあの日々」だとか「傷つけた愛おしいあの人」だとか、ありふれた大震災以前の日常の情景を思い出させますが、この日常の情景のいったいどこに東北があり、どこに復興支援があるのでしょう。さらに、「誰かの歌」が聞こえて「誰かの笑顔」が見え「誰かの想い」が見えて「誰かと結ばれ」「誰かの未来」が見えて、その最後に「私は何を残しただろう」と自虐して、いったいどこの誰のための復興支援なのでしょう。そして四季がめぐり、花が咲き、生命の継続のなかでいつか君が生まれ、その君が恋をするのだそうです。君が生まれて恋をして、どこに東北の犠牲者への鎮魂や被災者への寄り添いがあり、どこに復興支援があるのでしょう。ありふれた日常の情景を他人事のように技巧的に並べ挙げ、被災者の非日常に日常的な感傷を持ち込んで、どこに東北の復興があるのでしょう。無節操な歌です。
私は、石巻市大川小学校のガレキ同様の校舎の前で慰霊の読経はできても、「花は咲く」を歌う気にはとてもなりませんでした。同じ石巻市の幼稚園の送迎バスが津波に飲まれて園児五人が亡くなった現場で香華を手向け合掌はできても、「花は咲く」を歌う気になどなりませんでした。幼い学童や園児の生命の犠牲の前で「いつか生まれる君」「恋する君」などというフレーズは幼い御霊に対して不謹慎だと思いました。
時がめぐり春がくれば、花は咲くでしょう。三春の滝桜も角館のしだれ桜も弘前城のソメイヨシノも満開になるでしょう。しかし、花は咲いても被災者の重い心に本当の意味の復興の花が咲くことがありません。心の傷はお墓までもっていく非日常です。
この歌には、昔から厳しい気候風土に耐えて生きてきた東北の人が、また大自然から物心両面の過酷な試練を課せられた深刻さからの復興がありません。亡くなった方や行方不明者への深い鎮魂もありません。さらに言えば、アテルイ(阿弖流為)ひきいる陸奥の民(蝦夷)がヤマト王権の坂上田村麻呂に征服され、奥州藤原氏が源頼朝に滅ぼされ、伊達政宗が戦国時代の覇者豊臣秀吉に服従させられ、会津藩・奥州列藩は戊辰戦争で薩長軍に敗れ、会津藩は下北半島の不毛の地斗南地方ほかに追いやられるなど、東北は常に中央の政権に征服され従属してきた歴史があり、近代になっても、農家の家主はほぼ一年家を空けて首都圏での出稼ぎで現金収入を求め、留守を預かるじいちゃん・ばあちゃん・かあちゃんはヤマセ(冷たく湿った夏頃の季節風)と冷害に悩みながら「三ちゃん農業」でお米を作り、中学を卒業した男子は集団就職で「あゝ上野駅」へ、女子は、貧しければ、「おしん」のように働きに出され、養女に出され、口減らしのために川に流された赤子もいました。近代化の時代も、大きな目で見れば、東京や首都圏の大企業が安い労働力を見込んで生産拠点を進出させ、地元企業はその下請けで、とどのつまり産業・経済も中央への服属。東北新幹線は、言うなら、その象徴で、東京と直結していればこその存在意義です。
東北の復興に当っては、民俗学者で「東北学」の提唱者赤坂憲雄さん(東日本大震災復興構想会議委員)が、東北文化論の観点から復興構想を語り、福島県三春町臨済宗福聚寺の住職で芥川賞作家の玄侑宗久師(東日本大震災復興構想会議委員)も同じく東北のアイデンティティーをもとに、いくつもの提言をしました。私も松岡正剛さん(編集工学研究所長)との対談「東北だからこそ、グローバリズムによらない復興を」で、国の予算措置を武器にした政府主導(中央支配)のありきたりの復興ではなく、東北の中央服属の歴史を振り返り、東北伝統の民俗文化に根ざし、行政・産業・経済が自助・自立し、大都市も農漁村も人々が生きることに潤いがある、東北らしい東北の実現を論じました。
その観点からも、「花は咲く」は東北らしくもなく、他人事のような歌で、まるで遠く離れた東京のNHKホールなどで、東北復興支援という美名に乗った都会人が、自己満足で歌う歌です。仮に東北の人たちが復興に向けて歌うとすれば「故郷(ふるさと)」で充分です。私がこの「花は咲く」に強い嫌悪感を覚え、大震災による非日常のなかから神戸の子供たちが歌う「しあわせ運べるように」に心を打たれるのは、この歌が第三者がわざとらしく歌う偽善の歌ではなく、被災者自身の心の奥から自然に出た、そして被災現場(非日常)から同じ被災者に向けて発せられた、ふるさと復興の呼びかけだからです。