蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

能登半島地震に寄せて

令和6年01月15日
コロナに三年間、毎年大規模な自然災害に見舞われ、そのたびに感染者の緊急隔離や被災者の緊急避難が強制され、これからもまた同様の事態が起きること確実な日本に生きていてつくづく思うことは、国民・市民・住民がいざという時に安心安全に隔離・避難の生活ができる大規模な施設がないというお粗末な行政の不作為。今回また能登半島で被災した皆さんが宿泊施設ではない体育館などで、十日も二週間も寒さや水・食糧・着替えの不足など不便な生活に耐えながら、冷たい床にザコ寝させられているのをテレビで見るたび、十三年前の東日本大震災の時に某誌に投稿した私見が思い出され、それをここにまた投稿することにいたしました。
●毎年どこかで河川の氾濫や土砂崩れが起こるたびに、避難住民が学校の体育館や公民館などに長期雑居する光景を見るにつけ、豊かなはずのこの国にしては国民の生命と安全を守る方法があまりにもお粗末、もっと言えば非文化的・非人間的で、どうみても豊かな国の国民救護方法ではない、とため息が出る。いかに緊急の避難所であっても、学校の体育館などの冬は冷たく夏は蒸し暑いあのフロアしかないのか、命の危険にさらされて避難してくる気の毒な被災者を収容するのに、もう少し人間的なぬくもりのある避難施設はないのか、救急病院ほどではないにしても、とつくづく思う。
いつからこの国では、学校の体育館や公民館が緊急避難に最もふさわしい場所ということになったのか。誰が決めたのか。まずは(安全かどうかは別として)広くて多くの人を一括収容できることくらいしか頭にないのか。まるで戦時中の防空壕の発想と同じではないか。時代は進んで日本は豊かな国になったはずではなかったか。豊かな国には豊かな国らしい国民救護の手段があるべきではないか。
仮に体育館や公民館を緊急避難所と決めたなら、どうしてそこに非常用の電源装置や燃料・燃料器具・暖房器具、食料・飲料水・炊事道具、着替えの衣類・寝具、簡易トイレ・簡易入浴設備などの備蓄や用意がないのか。
一年前の三月十一日、東北の被災地では多くの人が着の身着のままで緊急避難したが、避難場所となった学校の体育館や公民館は、例によって冷たいフロアに布団・毛布、寒くて不健康で不便で不自由ななか、何百人もの人が窮屈なスペースでザコ寝・雑居し、プライバシーも何もあったものではなかった。
電気は停電したままで、暖を取るストーブも灯油もなく、食べる物も飲み物もなく、すぐに体調を崩す人・病気にかかる人が出た。しかし誰が救急車を呼ぶのか、誰が医療機関につなぐのかわからない。電話も通じない上、避難所の司令塔もいないのだ。
それでも避難できた人はいい。地震発生の翌日避難指示が出された福島県双葉町では、病院の院長その他が強制的に現場を離れさせられ、入院していた重症の患者が医師も看護師も乗っていないバスで避難所をたらい回しにされたり、真っ暗な病院に一夜置き去りにされたりして、死者が出た。
このお粗末かつ貧しい現実は、被災者は誰でもとりあえず広く冷たいフロアでザコ寝させることしか考えていない、と言っているに等しく、憲法第二十五条の「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利がある。国は、すべての生活部面において、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」(生存権)に背いている。災害時は「すべての生活部面において」に含まれないのか。避難住民は「すべての国民」に入らないのか。避難生活は「健康で文化的な最低限度の生活」なのか。
どうやらこの国は「豊かさ」の意味をはきちがえてきたようだ。ひとかどの国なら自然災害のリスクを想定し、そのための安全オプションを常備しておくのが当然のはずだが、この国は経済効率優先主義に目がくらみ、費用対効果の理屈がまかり通り、いつ起こるかわからない自然災害と人命救護のために、効果が数値化できない資金投入など重要視してこなかったのだ。畢竟、国民危急の時に国民の生命・財産を守り、かつ国民を人間らしく扱うという考えは全くない、これがこの国の国家としての意志のようである。
ならば、私が思い描く緊急避難施設とはどんなものか、私の住む栃木市で思い描けば、
  1. ①旧栃木市地区に二~三ヶ所、西方・都賀・大平・岩舟・藤岡地区に各一ヶ所ずつ、感染症拡大及び地震・水害等の災害の際の緊急隔離・避難施設を急ぎ整備する。
  2. ②この施設は、主たる事業として平時は自然エネルギー発電事業を行い、施設の電力をまかなうほか、余りの電力を売電し管理運営資金に充てる。発電の能力を持っていることにより、大規模停電・節電に対応できる。
  3. ③この施設はまた、市の防災センターを兼ね、旧栃木市地区の一ヶ所を総合管理センターとし、他を支部センターとする。平時から防災担当のスタッフが常勤し、必要に応じて福祉担当・医療担当等のスタッフが詰める。
  4. ④この施設は、感染症の拡大時には、隔離者約二〇〇人の医療対応がすぐにもできるスペース、診療スペース、医薬品・医療機器等の備蓄スペース、医師・看護師等の事務・休憩スペース、臨時的な隔離病室スペース、臨時的な一般病室スペースを確保する。
  5. ⑤災害時には、避難者約一〇〇〇人が長期避難生活に耐えられるよう、快適で人間らしい行き届いた生活ができるスペースを臨時に確保できるようにする。
  6. ⑥また、感染症の拡大防止対策として、防疫体制を確保した上で、地元医師会の協力を仰ぎ、ドライブスルー等による発熱外来を行い、重症者・中程度者は然るべき病院を紹介し、軽症者は隔離スペースに収容する。
  7. ⑦その他、隔離生活・避難生活に必要なスペース(生活用品備蓄スペース、浴場、多めのトイレ、談話室・娯楽室、子供用の遊び・学びのスペース等々)、ボランティア等のスペースを確保する。
  8. ⑧この施設は、水害の時を考慮し、市内の比較的高台の適地に整備しアクセス道路を広くとる。施設の周辺には広い駐車スペースとヘリポートなどを兼ねた予備的な広場を確保し、平時は陸上競技・サッカー場、市民運動場とする。
  9. ⑨この施設へのアクセス道路は、水害の時を考慮して必要なところを高架にする。
  10. ⑩この施設に隣接して道の駅・コンビニなどの食料品販売スペース及びレストラン・食堂を整備する。このレストラン・食堂は緊急時に避難者・隔離者の食事もまかなう。
  11. ⑪この施設は、平時には、市民が会議・集会・研修・制作・展示・教室・講演会・発表会などで多目的に活用でき、賃料は少額とする。また浴場・談話室・娯楽室を少額有料の敬老施設も備える。
  12. ⑫この施設の維持経費は、主として売電の収入とふるさと納税及び企業・市民の篤志寄付金でまかなう。不足ある時は市が負担する。その際、財政上の費用対効果は求めない。
以上の私見・構想を戯論・荒唐無稽として一笑に付すのは自由ですし、そんな莫大なお金がかかる話は無理だとポイ捨てするのも簡単です。しかし、こんなことは本来、豊かな国であるはずの日本の国土交通省が、とっくの昔にやっていなければならない国家事業です。ですが宗教者のはしくれに過ぎない私でさえ思いつくような、国民の安心・安全のための緊急避難施設は全国どこを探してもありません。市町村会議員・都道府県会議員・国会議員も何をやっているのでしょうか。この政治・行政の不作為のおかげで、今回は能登半島の避難先で、高齢者が劣悪な環境に避難をしたために、せっかく地震では九死に一生を得ながら災害関連死しています。この国はほんとうに、国民の生命・財産を守る国民主権の国なのでしょうか。