蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

●●説明会という名の集団リンチ

令和4年05月01日
いろいろな不祥事・事件・事故・不法行為といった人災の被害者への説明会がしばしば怒号の飛び交う修羅場になり、説明する側(時に加害者側)が口を開けば罵声を浴びる、多勢に無勢のまるで集団リンチのようなことを見聞きするにつけ、時々この国の国民主権のアプリ、ことに「お客様は神様」的な消費者優先、お金を出す側にアドヴァンテージがある最近の社会風潮に首をひねることがあります。過度な消費者優遇の商法、テレビ世界の過度な視聴率競争、スポーツ・芸能の過度なファンサービス、テニスなどの負けた選手へのインタビュー、またイージスアショア設置候補地の地元説明会、原子力発電所誘致の地元説明会、廃棄物処理場設置の地元説明会、迷惑施設の周辺住民説明会、不法建築マンションの購入者説明会、政治家の不祥事の記者会見、児童・生徒の自殺・いじめ事案の保護者説明会、そして交通機関(鉄道・遊覧船・観光バスなど)の事故犠牲者の家族説明会など。
思いもよらぬ不利益・損害をこうむったり、不安やストレスが解消されなかったり、大切な家族を亡くしたり、大けがをした側の方々のお気持ちは重々察するに余りありますが、それを充分わきまえた上で敢えて言いますと、被害者側になる方々が次々とやり場のない怒りや不満をぶつけ、時には加害者側になる人を怒号や罵声で追及し徹底的につるし上げるという、集団リンチのような異常な●●説明会はいかがなものか、そうした一方的・感情的で一種の「ガス抜き」のような集会には実りがなく、もっとお互いが、対立はしながらも、誠実な事情説明と理性的な質疑応答を行う実りのある場にできないものか、そうするためにはこの国もこの辺で国民感情のパニック対応の知恵やノウハウを専門家の知恵を借りて構築する必要があると思うことしきりです。
同じ人災でも、かつての地下鉄サリン事件の際、被害者家族は加害者のオウム真理教から事情説明を受けるなどということはあり得ませんでした。完全な泣き寝入りです。相手が相手です。事後の保障さえままなりませんでした。被害者家族は怒りのやり場もなく苦しみや不条理に耐え、時を刻んで今日に至っています。怒りや悲しみを爆発させることはできませんでしたが、それをこらえてある意味理性的に過せたのは加害当事者のオウム真理教教祖や幹部信者とは直接顔を合せず、国や弁護士などきちんとした第三者が対応したからではなかったでしょうか。
日本人にはもともと、大震災で大切な家族も家も財産も仕事もすべて失くした東北の人たちが示したあの我慢強さとパニックにならなかった冷静さや、コロナの対応で国民全体がみせた冷静で社会秩序を重んじる姿勢など、いざとなると外国人にはない高度なモラリティーがあることにヒントがあります。
今回の知床遊覧船海難事故は、遊覧船運行会社社長の経営的・人間的な資質に問題があることは、先日の記者会見や地元関係者のコメントを見聞する限り明らかです。しかし、仕事や生活や経済のレベルが高い首都圏の目線や感覚で、首都圏からすればはるかに経済的には恵まれない知床半島の零細事業者の資質を問題視し、一人悪者にして片づけるのもいかがかと思います。知床・ウトロというローカル経済のなかで細々と営む知床観光遊覧船の経営実態は、言うまでもなく想像に難くないでしょう。あの日本のさいはての地では旅行会社・観光業者が仲介・案内してきてくれる団体客そして個人の観光客が、みな神様だったにちがいありません。その神様に波静かなウトロ港を前にして午後からシケることがわかっていても朝から欠航を言うにしのびず、「今おだやかなのに、どうして船を出さないのだ、わざわざここまできたのに」と神様に詰め寄られれば、零細な運航会社は神様の言うことに不本意でも迎合し危険を承知で船を出す「条件付き運行」にならざるを得ません。そうした事情、私に言わせれば、神様となった消費者のエゴ、すなわち少ない自己負担でよりよいサービスを求める、少ない投資でより高いリターン(利益)を求める、要するに利得を得ること、それが日本いや首都圏・大都市圏の常識、そういう論理や風潮を日本のさいはての零細な観光地に持ち込むことの是非、それを犠牲者が出ている時に問うては不謹慎でしょうか。
遊覧船運行会社の社長をかばう気はさらさらありませんが、知床のローカルエリアで彼はいくつもの問題がありながら容認されてきました。あのローカルエリアでは多少問題はあっても地域経済を支える一員・仲間だったわけで、神様には頭が上がらないそういう劣の立場に甘んじてでも、地域経済に寄与してきたはずです。田舎とはそういうものです。彼をなじるのは簡単です。しかし現実は、知床のローカルな経済環境に、首都圏のメディアが考えるような、航海経験もあり知床の海を熟知し経営能力もすぐれた海運経営者が見つかるでしょうか。今回の悲劇は、コロナの感染者数が多かった北海道の観光産業を直撃した災難、脆弱なローカル経済で生きる零細な遊覧船運行会社をおそった、コロナ禍の外出自粛による観光客の激減・会社の業績不振・経営悪化が主たる原因で、件の社長はそれに対応できる器ではなかったということだと私には思えます。
それにしても、四月の北海道は冬の終り。関東では桜が散り、東北では桜が満開の頃北海道に出かける機会がありましたが、新青森から函館に向う特急が青函トンネルを出て北海道に入った途端に線路の両側は残雪でした。ましてや知床はまだ冬の眠り。その時期に知床の海に遊覧船を出すこともレッドカードですが、その遊覧船に乗るのもイエローカードで、時期や天候や運航会社の信用性を事前に調べるなど慎重な対応と判断が求められたのではないでしょうか。犠牲になられた乗客の皆さんに何の罪咎や責任はありませんが、旅行という非日常の遊楽気分や解放感に落とし穴はなかったでしょうか。