蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

ある「BC級戦犯」の手記

令和元年8月8日
 8月15日(大東亜戦争敗戦の日)になると、よくA級戦犯のことが問題にされます。ところが、今を生きる日本人のほとんどがA級戦犯の問題などよく知りませんし、ましてやBC級戦犯のことなど無関心です。時節柄ちょっとふれておきたいと思います。

●A級戦犯とは、東京裁判で「平和に対する罪」で起訴され死刑(=絞首刑)・終身刑・有期禁固刑の判決を受けた25人と判決前病死・訴追免除3人の28人、および起訴されず裁判を免れた人を含めて約200名。参考までに28人の名を挙げれば、
【死刑(絞首刑)】
01東條英機軍人、総理大臣、アメリカに対する罪
02板垣征四郎軍人、陸軍大臣、満州国軍政部最高顧問、関東軍参謀総長、中国侵略の罪
03木村兵太郎軍人、陸軍次官、ビルマ方面軍司令官、イギリスに対する罪
04土肥原賢二軍人、第12方面軍司令官、奉天特務機関長、中国侵略の罪
05武藤 章軍人、第14方面(フィリピン)軍参謀長、捕虜虐待の罪
06松井岩根軍人、中シナ方面軍司令官 南京攻略の時、南京事件の罪
07広田弘毅文民、総理大臣、近衛内閣の外務大臣として南京事件を止めなかった罪
【終身刑】
01荒木貞夫軍人、陸軍大臣、文部大臣
02梅津美治郎軍人、関東軍総司令官、陸軍参謀総長
03大島 浩軍人、外交武官、ドイツ大使、ヒトラーに心酔
04岡 敬純軍人、海軍次官、鎮海警備府司令長官
05賀屋興宣官僚、国会議員、大蔵大臣、法務大臣
06木戸幸一官僚、内大臣、天皇の側近、『木戸日記』
07小磯國昭軍人、拓務大臣、朝鮮総督、総理大臣
08佐藤賢了軍人、第37師団(中国の警備・治安長)
09嶋田繁太郎軍人、海軍大臣、軍令部総長
10白鳥敏夫外交官、国会議員、勝手な外交の振舞いで昭和天皇の怒りを買う
11鈴木貞一軍人、東條英機側近、企画院総裁、国会議員
12南 次郎軍人、陸軍大臣、関東軍司令官・満州国大使、朝鮮総督、国会議員
13橋本欣五郎軍人、右翼活動家、たびたびクーデターを試みる、国会議員
14畑 俊六軍人、陸軍大臣、関東軍司令官、第2総軍(西日本防衛)司令官
15平沼騏一郎官僚、総理大臣、国会議員、枢密院議長、内大臣
16星野直樹官僚、満州国国務院長官、内閣書記官長、
【有期禁固刑】
01重光 葵外交官、外務大臣、大東亜大臣、国会議員
02東郷茂徳外交官、外務大臣、拓務大臣、大東亜大臣、国会議員
【判決前病死】
01永野修身軍人、海軍大臣、連合艦隊司令長官、第一艦隊司令長官、軍令部総長
02松岡洋右外交官、国会議員、外務大臣、日独伊三国同盟、国際連盟脱退、
その独断先行を昭和天皇は嫌悪していた
【訴追免除】
01大川周明民間人、超国家主義右翼思想家、梅毒による精神障害で訴追免除
 彼らは昭和28年、「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」により釈放されました。この赦免によって戦争犯罪人ではなく、「戦死者」(公務死)または「被拘禁者」となり、「戦死者」の遺族には「戦傷病者戦没者遺族等援護法」が適用されました。
 こうした旧軍人の復権の流れのなかで、昭和53年(福田赳夫内閣)、松平永芳宮司によって、亡くなったA級戦犯が「英霊」として靖国に合祀されました。国のために殉じた「英霊」を御神体とする靖国神社としての神事です。翌年にはマスコミの知るところとなりましたが、その当時は中国・韓国ほか国際社会は何も言いませんでした。

●BC級が、
「通例の戦争犯罪」(B項)及び「人道に対する罪」(C項)の罪で起訴され死刑等の判決を受けて服役した約5700人(うち、約1000人が死刑)。
 「通例の戦争犯罪」(B項)とは、戦時国際法違反すなわち交戦法規違反で、毒ガスなどの禁止された兵器の使用、降伏者の殺傷、捕虜の虐待、非戦闘員の殺傷、暴行略奪、無防備都市への攻撃、教育・宗教・病院施設の破壊、スパイなど。「人道の対する罪」(C項)とは、一般住民に対する殺害や虐待など非人道の罪。ほとんどがB級戦犯でした。
 BC級戦犯は、国内の刑務所のほか、上海・グアム・シンガポール・ラバウル・マニラ・クェゼリン・マヌス島・ジョホールバル・クアラルンプール・タイピン・ペナン・アロルスター・香港・ラブアン・ジェッセルトン・ビルマ・ウェワク・ポートダーウィン・アンポンモロタイ・バタヴィア・メダン・タンジョンピナン・ポンティアナック・バンジャルマシン・バリックパパン・マカッサル・クーパン・アンボン・メナド・モロタイ・ホーランディア・サイゴン・漢口・北京・広東・瀋陽・南京・済南・徐州・台北・太原・ハバロフスク等、世界の50数ヵ所の監獄で抑留され、その地で裁判を受けました。

  BC級戦犯自らが綴った魂の遍歴の書があります。
 ―『ある「BC級戦犯」の手記』(元陸軍主計大尉 冬至堅太郎著、2019、中央公論新社)―

 戦争犯罪人が自決せずに生きて救われるのか。この著者自身の重い自問に親鸞が言う「自分のはからい(自力・自己)を棄てて、如来(阿弥陀仏)の本願(他力)を信ずれば救われる」も『聖書』も役に立ちませんでした。やっと得心ができたのは真言宗の碩学(密教学)で巣鴨プリズンの教誨師としてBC級戦犯の減刑活動に身命を賭した田嶋隆純師(「巣鴨の父」『世紀の遺書』)の言葉「現在を(その場を)最善に生きる」でした。

 この本の二三九ページに次のようなくだりがあります。
 花山師(主としてA級戦犯を担当した巣鴨拘置所初代教誨師)の代わりに田嶋という方(大正大学教授、真言宗)が始めて来られた。礼拝のあと「私も貴方たちと同じく戦争犯罪人です。それに貴方たちばかりに責を負っていただいて申し訳ありません」といって涙を浮かべておられる。余り眼をしばたたかれるのでこちらの方が気の毒になって、何とかお慰めしたいような気持になった。(花山師のあとの()内:管理者註)
 そして、それに感動した冬至(著者)はその日、次の即詠の短歌を田嶋師に贈っています。
我もまた 汝(なれ)と同じき 罪人と 涙たたへて 君は説きます
み仏の 教へ説きます 師の瞳(まみ)に あふるる涙 見すぐしがたし
師の面(かお)に 涙見つつ聞きをれば 仏(ほとけ)の慈悲の 身にしみわたる
み仏の 大き教への つづまりの 慈悲の涙を 師の眼には見つ
 新任の教誨師田嶋師の涙はウソの涙ではないことが受刑者の心を打ったのでしょう。その涙は仏教の経典の教えよりも、高邁な仏教教理よりも、親鸞の「悪人正機」よりも、『法華経』信仰よりも、聖書よりも、死刑囚の心を底からゆり動かしたのです。 田嶋師は地蔵信仰の人でした。地蔵信仰とは 「代受苦」。人々の苦しみをその人に代って受けとめる「同苦」「共苦」の菩薩行です。田嶋師が住職をした東京江戸川区北小岩の正真寺には「隆純地蔵尊」が建っています。