蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

ヒロシマ派遣の中学生、反戦平和教育は原爆犠牲者への脱帽から

令和元年8月1日
 8月6日ヒロシマの日、8月9日ナガサキの日が近づきました。以下は、先日栃木県教育委員会の中学生のヒロシマ派遣担当宛に出したメールです。担当者からは真摯な返信が後日届きました。

――平素は本県教育振興のために日々ご努力をいただき、一県民として感謝申し上げます。早速ながら、今年も中学生のヒロシマ派遣の時節になってまいりました。小生、これまで何度か、派遣される生徒のヒロシマにおける「脱帽のマナー」について徹底指導していただくよう、老婆心ながらお願いをしてきた者ですが、本年もどうぞヒロシマにおいて派遣された生徒たちが適宜適切に「脱帽のマナー」を発揮してくれるよう、各地区教育委員会を通じ生徒を派遣する学校の引率教諭に指導徹底をお願いいたしたく、メールさせていただきました。
 と申しますのも、釈迦に説教のようですが、派遣の第一の目的は「広島市原爆死没者慰霊式並びに平和祈念式」への参列であります。「慰霊式」とは死者(広島の場合は犠牲者)への鎮魂の意を表す「儀式」で、「儀式」の進行中はたとえ暑くても、テントの中でなくても、死者への畏敬の念から脱帽をするのが礼儀(敢えて言えば日本人の伝統マナー)です。平和を祈念する式典を兼ねているわけですので、なお厳粛という意味で脱帽です。
 原爆資料館の館内も同じことで、あの展示物の前で帽子をかぶっているのは、犠牲者に対して失礼になります。ヒロシマというところは、原爆犠牲者や今も後遺症に苦しむ被爆者の気持ちに寄り添うことが肝要で、とくに8月6日のヒロシマにはそういうことに充分配慮して入らなければなりません。
 かつて本県から派遣された生徒が慰霊式式典中、テントの中で帽子をかぶっている画像が下野新聞に載ったことがありました。私はこれに違和感を感じ、この頃本県の教育現場では、厳粛な式典の中でも最も厳粛なヒロシマの原爆死没者慰霊式においてさえ脱帽させないのかと、派遣された生徒の学校のある教育委員会に問い合わせましたところ、「熱中症予防のためだった」と。また、原爆資料館の中でも着帽のまま写っていた生徒については「迷子防止のためだった」と回答がありました。死者への畏敬より生徒の体調管理や迷子防止を優先するような心得なら、わざわざヒロシマに何をしに行くのか、厳粛とか神妙とか、そういう人間として高度な精神状態を体験する得がたい機会であって、引率の先生が生徒管理の問題に気を取られ、何のためにヒロシマに行くのかが後まわしになるようでは本末転倒と言わざるを得ないので、敢えて苦言を呈した次第であります。
 たしかに猛暑の中での長距離出張。集団行動での心配ごとはわかりますが、何のためにわざわざヒロシマなのか。式典・資料館で死者への畏敬と礼儀そして平和の尊さを学ぶのが大きな課題で、不戦平和教育は死者への畏敬と礼儀からはじまるべきです。
 昨今、子供の時に「神仏の前では脱帽」「室内(家の中、教室の中)では脱帽」「乗り物(電車・バス)の中では脱帽」「公共の建物の中では脱帽」「食堂・喫茶店では脱帽」などと教えられた中高年が、頭髪の問題とは関係なく、病院でも、美術館でも、講演会でも、食事処でも、ところ構わず帽子を付けたままでいる行儀の悪さが目に余りますが、そうしたご時世を正す意味でも児童・生徒に時と場所に応じた適宜適切な「脱帽のマナー」の徹底をご指導いただきたく、本県の子供たちの品位向上のためによろしくお願い申し上げます。――