満福密寺(満福寺(通称))について
満福密寺(満福寺)は栃木県栃木市にある真言宗のお寺です。
真言宗(=密教)の故に密の字を入れて満福密寺と称します。
弘長2年の開創、750年の歴史を刻み、ご本尊は大日如来です。
清貧孤高の画家 田中一村や、明治期の自由民権家 杉浦吉副の墓所があります。
真言宗(=密教)の故に密の字を入れて満福密寺と称します。
弘長2年の開創、750年の歴史を刻み、ご本尊は大日如来です。
清貧孤高の画家 田中一村や、明治期の自由民権家 杉浦吉副の墓所があります。
当山の御朱印

フジテレビが、同社元女子アナウンサーに対して行われた芸能タレントによる性加害について、それに対応した前社長ほか関係役員が企業としてのあるべき対応を怠り、結果、女子社員の人権を著しく傷つけ、その一方では加害者の芸能タレントが出演する番組をその後もずっと続け、さらには芸能タレントと女子社員、社内の上司と女子社員のパワハラ・セクハラに甘い企業文化を放置し、経営陣に公共放送事業者としての自覚と責任感とガバナンス能力が欠けていた事態まで発覚し、この不祥事に鑑みて多数のスポンサー企業がテレビコマーシャルを自粛するまでに至っています。
このフジテレビ。日本の主要テレビ会社では日本教育テレビ(現在のテレビ朝日)とともに後発組で、創業は昭和三十二年(一九五七)、会社名は㈱富士テレビジョン。開局は昭和三十四年(一九五九)、会社名は㈱フジテレビジョンでした。文化放送の社長だった水野成夫(以後敬称略)とニッポン放送の専務だった鹿内信隆という当時の財界の大物によって設立されました。
水野成夫は、著名な実業家ですが、文学者・社会運動家でもありました。若い頃には日本共産党の機関紙「赤旗」の初代編集長をつとめ、のちに挫折してフランス文学の翻訳家となり、実業の世界では今の日本製紙の前身である㈱国策パルプ工業の経営に参画し、のちに社長に就任する一方、同じ頃文化放送の社長に就任し、フジテレビの設立にかかわり、高度経済成長の池田内閣時代には財界四天王といわれました。
一方鹿内信隆は、戦後、無名の日本電子工業の設立に参画し、軍隊時代に知り合った桜田武(元日清紡績社長・日経連会長、反共活動家)や水野成夫など財界の四天王の信任を背景に、桜田とともに日本経営者団体連盟(日経連)の設立・発展に尽力し、専務理事として当時盛んになっていた労働争議と闘いました。のち、ニッポン放送の設立に加わり、文化放送の社長になっていた水野成夫とともに、フジテレビを創設したのです。
すなわち二人は、戦後の混乱期に日本経済の復興の先頭に立ちながら、一方では労働争議の裏側に見え隠れする左翼勢力と闘っていた経済人であり、日本の健全な戦後の復興の一環として創設したメディアがフジテレビなのです。フジテレビ・文化放送・ニッポン放送のグループにはのちに産経新聞社も加わり、今ではフジサンケイグループと総称されていますが、その政治的なスタンスはフジテレビ・産経新聞の報道姿勢に見られるように健全で穏健な保守であります。左系の目立つ日本のテレビ業界ではたった一局、経営者の立場に立つ貴重な保守です。
水野成夫は、著名な実業家ですが、文学者・社会運動家でもありました。若い頃には日本共産党の機関紙「赤旗」の初代編集長をつとめ、のちに挫折してフランス文学の翻訳家となり、実業の世界では今の日本製紙の前身である㈱国策パルプ工業の経営に参画し、のちに社長に就任する一方、同じ頃文化放送の社長に就任し、フジテレビの設立にかかわり、高度経済成長の池田内閣時代には財界四天王といわれました。
一方鹿内信隆は、戦後、無名の日本電子工業の設立に参画し、軍隊時代に知り合った桜田武(元日清紡績社長・日経連会長、反共活動家)や水野成夫など財界の四天王の信任を背景に、桜田とともに日本経営者団体連盟(日経連)の設立・発展に尽力し、専務理事として当時盛んになっていた労働争議と闘いました。のち、ニッポン放送の設立に加わり、文化放送の社長になっていた水野成夫とともに、フジテレビを創設したのです。
すなわち二人は、戦後の混乱期に日本経済の復興の先頭に立ちながら、一方では労働争議の裏側に見え隠れする左翼勢力と闘っていた経済人であり、日本の健全な戦後の復興の一環として創設したメディアがフジテレビなのです。フジテレビ・文化放送・ニッポン放送のグループにはのちに産経新聞社も加わり、今ではフジサンケイグループと総称されていますが、その政治的なスタンスはフジテレビ・産経新聞の報道姿勢に見られるように健全で穏健な保守であります。左系の目立つ日本のテレビ業界ではたった一局、経営者の立場に立つ貴重な保守です。
時に、創業者鹿内信隆の後継者だった鹿内宏明が、平成四年(一九九二)に突如会長職を解任されたあと、私の目には、フジテレビは芸能タレントによるバカげたちゃらけ番組が目立つようになりました。いわゆる「軽チャー」番組路線で、日枝久社長が言った「テレビはおもしろくない」路線です。最初から見るべき番組のなかったフジテレビでしたが、バカバカしい番組を公共の電波の乗せてたれ流すフジテレビの節操のなさに愛想が尽き、8チャンネルを私は見ないことにしました。そもそも、すでに名の知れた芸能タレントを使って、その名前で視聴率を上げる安易な経営方法は邪道で、とても総務省から国の認可を受けた公共放送とは言えません。よくもこんなバカげた番組を毎日毎日制作してはお茶の間にたれ流しするものだとあきれたものでしたが、今回のあの件の記者会見をニュースで見て、フジテレビ経営幹部の発言内容・言葉づかい、発言のたびににじみ出てくる彼らの社会性・人間性・教養・知性のレベルは、なるほどあの「軽チャー」路線なのだと実感しました。
新しい取締役に進言します。会社の出直し・再生にあたって、一度まずフジテレビの番組から芸能タレントをすべて一掃し、社員だけで何をフジテレビは使命とし、何を視聴者に伝えるべきかよく考え、その視点で番組をつくるとどんな番組ができるか、スポンサーは視聴率を取れなくてもコマーシャルを出してくれるか、そこからはじめたらどうかと。私は、フジテレビが創業の精神に立ち戻り、フジサンケイグループの一員として、日本の良識ある保守の砦であって欲しいと思っています。テレビ局なのか芸能プロダクションなのかわからないような、芸能界と癒着した不健全なテレビ局を早く卒業すべきだ、と。
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