蔵の街とちぎ 大毘盧遮那殿 満福寺(満福密寺)

閑話休題

「国民精神」総動員-「欲しがりません勝つまでは」

令和3年3月11日
 団塊の世代以下、若い世代は知らないでしょうが、敗色濃い太平洋戦争末期、日本国民は国の存亡・生命財産の危機・食料はじめ生活物資の欠乏に瀕して、「欲しがりません勝つまでは」を合言葉にガマン・辛抱・自制そして社会秩序を乱さない公衆道徳の高さを発揮しました。これを「国民精神」と言いました。
 戦車・戦艦・戦闘機・武器・弾薬・糧秣ほか軍事物資も底をつき、資源もなく国民の食糧・生活物資も欠乏し、ナイナイづくしになった戦況で、本土決戦・一億玉砕を強調してなおも戦争を続行しようとしていた軍部政府は、国民を鼓舞するためにこの「国民精神」をあおりました。それが「国民精神」総動員でした。
 今まさに、菅(すが)政権と東京都・神奈川県・千葉県・埼玉県は、目に見えずしかも変異する新型コロナウィルスの抑え込みに有効な行政手段(人間の科学的知恵)を打ち出せず、感染発生から一年が経つというのに、コロナを抑え込むどころか緊急事態から脱することもできず後手後手・右往左往、医療機関のひっ迫・医療従事者の過度の疲労の前に為すスベもなく、都民・県民にただただガマン・辛抱・自制・自粛を求める「精神論」に終始しています。まるで戦時中の「国民精神」総動員にそっくりです。

 東日本が全滅の危機にさらされた大震災と原発事故から今日で10年ですが、ふり返ればあの時の東北もそうでした。国民の生命・財産に未曽有の緊急事態が起こっているというのに、国・県・市町村のやることは後手後手・右往左往・無為無策で有効な危機管理が発揮できず、結局、東北の人たちの人間性、すなわちガマン強さ・苦難にへこたれない辛抱強さ・地縁血縁の助け合い・人と人の絆などに頼るばかりで、いざという時にこの国の行政機構はまったくあてにならないことが露呈しました。
 フクシマの東京電力福島第一発電所の核燃料メルトダウンの事故でもそうでした。東京電力が国際原子力機関(IAEA)の津波対策改善勧告を無視していた不作為の罪は経営幹部を有罪にしても足りないくらいですが、あの時の民主党政府(とくに菅(かん)総理)の狼狽ぶりも歴史に残る汚点でした。刻々と迫りくる危機の現実を把握することも即座に打つべき緊急対応も、政府・東電は無能でした。つまりは、民主主義の根幹である国民の生命・財産を守ることに無能でした。時の政権が「民主」党とは、何たる皮肉でしょう。
 その結果、福島県浜通りの住民はほぼ全員避難を余儀なくされ、慣れない避難先でとても人間らしいとは言えない生活を強いられ、なかには「放射能」「近づくな」「汚い」などといって転校先の学校で嫌がられ避けられ差別される子供まで出ました。埼玉アリーナに一時的に避難させられた人たちが収容されたのがアリーナの通路だったのには心が痛みました。以来、原発事故で故郷を追われた人たちは人権無視の筆舌に尽くせぬ辛酸をなめました。その時も避難した人に強いられたのは、ガマン・辛抱・自制・自粛の「国民精神」でした。

 あれから10年、国も都道府県も市町村も新型コロナウィルスという自然の大災害の前に右往左往し、またまた国民にひたすらガマン・辛抱・自制をお願いする「国民精神」総動員です。この国の危機管理は依然として進歩していません。国民の生命・財産が緊急事態におそわれた時、無能なのです。最悪の事態を想定した予備ができていないのです。結局、いざという時、この国は戦時中の「欲しがりません勝つまでは」、つまりは「国民精神」総動員しかない、国民主権とは名ばかりで、政治が政治家と官僚のためにあり、国民が人間らしく生きることに政治の目が向けられていない、非民主の国なのです。この病根は深いです。

 三月十二日、東北の被災者の人たちの本音の声(大震災「風化」の声)が、私の耳には聞こえてきます。

 「きのうは、テレビがいろいろな趣向で東日本大震災から十年の企画番組をやっていたけれど、気づかいや励ましは有難いが、私たちの心に響くものはなかった」。

 「TBSの特番「音楽の日」で、MISIAさんが航空自衛隊自衛隊松島基地で、新曲「さよならも言わないままで」と復興応援歌「明日へ」を熱唱し、「自分には何ができるのか、今はもしかしたら歌を聴けるような気持ちではない人もいるかもしれないけど、「いつか立ち上がってみよう」という時に変わらない歌があったらいいなって。だから私は変わらずに明日へ明日へと歌っていこうと、それがみなさんの明日への力になったら」とコメントを残された。
 彼女の歌に魂をゆすぶられた人もいたようだが、所詮彼女は東京に帰る人で東北の私たちの日常にいる人ではない。たまに来てすぐ帰る、いわば異邦人。歌を聞いて元気が出るとか勇気をもらうとかよく言うが、東北の人が受けた心の傷は正直、三月十一日に松島の基地でMISIAさんが歌ったからってどうなるものでもない。私たちの現実は何も変わらない。彼女の熱唱は自己満足かも知れない」。

 「私たちにとっては、三月十一日だけが犠牲者を追悼し復興を誓い合う特別な日ではない。死ぬまで、毎日毎日が慰霊・追悼の日であり、三百六十五日が復興なのだ」。

 「久しぶりに復興支援の歌「花は咲く」を聞いた。初めて聞いた時から変らないのだが、いくら東北出身の有名芸能人が花を手に歌ったところで、この歌は歌詞もメロディーも私には白々しく聞こえ、しみじみと心を打たない。作った人が仙台の人でも、あれは東北の土に根ざした歌じゃない。だから歌う気にもならないし、この歌を聞いてがんばろうという気持ちにもならない。NHKがまた「花は咲く2021」なんてものを始めるそうだが、NHKはどこまで「東北」というものがわかっているのか、私たちの心の傷がわかっているのだろうか、東北の復興を勝手にNHK(首都東京・中央権力)好みにミスリードしないで欲しい」。

 東北の地に足をつけて必死に生きている人たちと、日頃は東北や大震災とは関係なく生きている首都圏・中央のメディアの人たち(出演者も含めて)の「メディア的自己満足」の間の「思い」のズレあるいはミスマッチを、私は「風化」と言うことに躊躇しません。東北が「風化」していることを浮き彫りにした10年目の3・11でした。